無意識日記々

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SAKURAドロップスにみる名付けセンス

各社のプレイリストをみると(というかツイートで教えてもらうんだが)、この季節はやはりSAKURAドロップスがラジオでかかっているようだ。

ヒカル本人が言うように、この歌は初夏を想定していて、3月末から4月頭にかけるにはやや季節が早い。『やがて花を咲かす』と歌っているからには現在絶賛落花中なのだから。しかしそれでもラジオでかかるのは中の歌詞など関係なくタイトルに『SAKURA』が入っているからだ。

これも、実は冷静に考えるとおかしい。『ドロップス』はdrops、"落ちる"という意味で、タイトル自体は落花をばっちり宣言しているのだ。何故それでも初春にこの曲をかけれるのか。

理由は、今「冷静に考えると」と言い添えた点にある。ふと立ち止まって『ドロップス』の意味を考えないと、日本人はそれが"落ちること"だと気がつかないのだ。

想像してみよう。もしこの極のタイトルが『SAKURAチル』だったら? 多分、3月下旬だなんて微妙な時期にオンエアするのは憚られたことだろう。意味はドロップスと変わっていないのに!だ。因みに、"サクラチル"&"サクラサク"は合否の判定を遠隔地に報告する際、電報に記す文面である。電報は字数によって料金が決まる為、出来るだけ少ない文字数で伝達する必要があり、このような表現が生まれたそうな。"キトク"なんてのも同様である。

で、だ。ここらへんに光の日本語感覚の鋭さがある。桜が散る風景を描くのに、どのような表記にするか。桜を"さくら"にするか"サクラ"にするか"SAKURA"にするか、で大分違うし、散る事も英語ならFallとかでもいい。そういった様々な候補の中から"SAKURAドロップス"に落ち着いたのかといえば、"サクマドロップス"とよく似た語感にすることで曲タイトルを商品名、ブランド名のように扱えるようにしたかったからであろう。本人のいうように、仮に"ドロップ"だと一部の日本人はプロレス技のバックドロップを思い出してしまう恐れがあるが、ドロップスなら飴の方に印象が偏る。そう、これは"ドロップ"という外来語を巡る日本人のイメージ喚起傾向を十分に考察した上での名付けなのである。

この作用により"ドロップス"が"花が散り落ちる"という意味であることをぱっと聴きでは連想する事がなくなる。立ち止まって意味を考えてみないといけないのだ。そうであれば、ラジオで流す分にはリスナーには"SAKURAだから春の歌かな"という程度の印象しか残らない。ヒカルの作戦は、意図通りかどうかは別として、見事に奏功したのであった。