無意識日記々

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空間支配能力。

桜流しサウンドで驚愕したのはその空間支配能力である。このテイクのミックスについては公開早々ツイッターで不満を表明したし、今でもその評価は変わらないが、映画館で聴く分にはこのミックスは非常に優れていて、更に将来LIVEで演奏されるとなればこのサウンドバランスがベストだろう。そこまで見越してミキシングを施したのであれば大したものである。

だからといってスタジオバージョンを映画館やLIVEでの音響に合わせる必要はないのだが、そこは考え方次第か。常日頃からこのバランスに慣れていれば映画館やコンサートホールでの戸惑いは少なくて済む。何の事を言っているかよくわからない読者も多いだろうが、いつの日かLIVE会場で桜流しを"体感"してくれればそれは実感として伝わる筈だ。この曲の全貌は、映画館で体感し更にLIVE会場で体感して初めて把握できる筈である。その時まで、桜流しの物語は続いていく。

空間支配能力。この楽曲のスケール感は、どれだけ男が現実の空間に浸透していけるかで推し量る事が出来る。まだ楽曲が発表されて間もないので、曲を聴く時にあらゆる雑音を遮断して、という向きもあるかもしれない。しかしこの曲の本領が発揮されるのは寧ろ周囲の生活音が耳に入ってくるような状況の時だ。試しに、外で子供が遊んでいたり、街宣車石焼き芋屋さん(そろそろ季節だねぇ)がけたたましく音を出している時に桜流しを聴いてみるといい。個人差はあるかもしれないが、まるで映画の一場面のように感じられる筈である。そこが凄い。普通雑音は音楽鑑賞にとって妨げとなるものだが、桜流しはそういった様々な雑音を効果音として自らの内に取り込めるだけのスケール感、包容力を持ち合わせているのである。こういう感覚を、サウンドトラックとしてではなくひとつの主張を孕む自立した楽曲として提示できるのは、Pink FloydKate Bush等、"伝説的"と言われるレベルのミュージシャンにしか見られないものである。宇多田ヒカ
ルは、遂にその領域に足を踏み入れたと言っていい。至極感慨深い。勿論、そのレベルの最初のステップを刻んだというだけで、まだまだ先は長いのだが。

映画でいえば、小津安二郎の作品を見ているかのようだ。(またそれか) 彼の作品は、以前話したように、日常の何気ない場面ですら尊く、美しく表現する。いや、観客にそう思わせる事が出来ると言った方がいいか。けたたましい街宣車の騒音をバックに桜流しを聴けば、"世界が違って見える"という感覚が、朧気ながら掴めるのではないかと思うのだが、こればっかりは個人差があるのでどうしようもない。

今まで宇多田ヒカルというミュージシャンは「若いのに凄い」「日本人にしては凄い」とか「世界で通用する」とかいう評価を受けてきたが、桜流しまでくればこれからはもうそういう注釈は一切不要である。比較するのは人類の歴史上伝説的と呼ばれる人たちどなるべきであろう。その為には、どちらかといえば世界中でぐぅの音も出ないような大ヒット曲を発表して欲しくなるのだが、流石にそんな話は現段階では気が早すぎるわね。