無意識日記々

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歌えてしまったプログラマー

宇多田ヒカルを"シンガーソングライター"と呼ぶのを私が躊躇するのは、私が古い人間だからだと前に述べた。シンガーソングライターというとどうしてもピアノかギターで弾き語りをしながら作曲、という先入観が拭えないからだ。ヒカルのように打ち込み主体だとどうもこの呼称はそぐわない。

今の時代は、自作自演の為に最もポピュラーなのは、そういった私がイメージする"旧態依然とした"シンガーソングライターを除けば、ボーカロイドによるトラックメイキングだろう。あれを自演と呼べるかどうかはともかく、"シンガー"がそこに"居る"事は事実である。彼らは当然(或いは大概)PCで作曲してそれをそのままボーカロイドに歌わせてしまう。21世紀の自作自演である。一方、勿論ギター片手に自作自演する旧来からのシンガーソングライターも続々とデビューしている。それぞれに、流派がある。

ヒカルは、ちょうどその間に居る。PCを使って作曲編曲トラックメイキングを行う一方で、自分で書いた詞を自分で作ったメロディーに乗せて自分で歌ってしまう。自分で歌えてしまうから、彼女は"シンガーソングライター"になるしかなかったのである。もし仮に彼女が歌えない人だったら(虚しい仮定だ)、時代に合わせてボーカロイドを使っていたのかもしれない。果たして、どこかからシンガーを見つけてきてユニット或いはバンドを組むような"社交的な"行動に移っていたかといえば、やはり疑問符がつくからだ。そんな手間暇をかけるくらいだったら自分でボーカロイドを思う存分調教していたかもしれない。

しかし現実は違った。藤圭子の娘として以上に至宝な歌唱力を持ってしまった。ならば自分で歌うしかない。いちいち指示を出すまでもなく、最も効率的に、最も高い成果をあげる方法。それがヒカル自身で歌う事だったのだから、これはもう仕方のない事なのだ。

こうやって出来上がった"電脳時代のシンガーソングライター"は、特に女性では珍しいスタイルだ。誰かに歌ってもらいたい人と、自分に歌わせて欲しい人がこうやって重なっている。だから、ここでしか生まれないタイプの歌が出来ているともいえる。女性シンガーを想定して作曲とプログラミングを行う女性作曲家、というのだけでも希有だろうに、それを兼任するとなるとかなりのキャリアが必要になるのではないか。それをこの人は17,8歳の頃からやっているのだ。誰もフォロワーが居なくても当然である。

さて、こういう"シンガーソングライティング"を続けて十数年、歌手宇多田ヒカルは30歳を迎えより"大人な"歌手としての成長を遂げるだろう。そうなってくると作曲家/プログラマーである方の宇多田ヒカルも、アプローチが変わってくる筈なのだが、それについてはまた次回だな。