無意識日記々

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主役と宛名

まず、タイトルがいい。【藤圭子を長年応援してくださった皆様へ】。私も度々、「亡くなったのは藤圭子さんだよ」とか書いてきたけど、今回の主役は彼女の方だ。ヒカルはその一人娘であり喪主である。葬式(やらないそうだが)の主役は故人であり喪主ではない。その事を明確に告げている。ヒカルも『亡き母に代わって』と、自らが代理である事を強調している。この冒頭があるから最後が『私も藤圭子のファンでした。今も、この先もずっとファンであり続けます。』になる。宛名が、"藤圭子を応援してくださった皆様"であり、自分自身もその一員だ、同じ気持ちだ、と。このメッセージは、その感情を共有してくれる人たちに今回の顛末の理解を求める内容となっている。

宛名、と書いたが、文章全体を眺めて見ると「誰に宛てて書いているか」が各文毎にきっちり明記されている点が目を引く。

『長年藤圭子を応援してくださった皆様』
『今なお母の心配をしてくださっている方々』
『母の遺体との面会を希望された方』
『報道を耳にし、疑問を抱かれている方』
『母のことを案じてくださっている方』
『母をよく知る者』
『母のためを思う方』

ある程度は特定の人物が想定され、ある程度は不特定多数が想定されている。ひとつひとつが、少しずつ違う。ワイドショー的見方をするなら、『母をよく知る者』だけ宛名が"者"、つまり、ヒカルに極近い人物、僕らからみたら"そちらの身内"と想定される誰かに宛てた書き方となっている。照實さんが8月26日月曜日に発表した文の中に「故人の遺言書に書かれていた」と書かれていた事を総スルーしたマスコミの皆さんが、この小さな書き分けに気付くかどうか。興味があるような、どうでもいいような。ひとまず、"者"宛ての文章が公の場で書かれた理由を、ファンは各自で読み取ってみればよいのかもしれない。やや下世話な話かも、しれませんが。