無意識日記々

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あるのかないのか解らないジレンマ

確かに、冷静に考えてみれば自分の聴く好みと作る作風と歌唱法には、そのままでは何の因果関係もない。しかし、大体やってるうちにアジャストしてくるものでもある。

基本的に、自分で作った歌を自分で歌えないというのはよくあるというか当たり前の事だ。壮年の男性プロデューサーが10代女性の歌を作曲する場合、歌える方がおかしい。自分では歌えないから代わりに歌ってもらう訳だ。いや彼女たちに歌ってもらう為に曲を書いている、という方が正確かな。

だとしたらHikaruも誰か他の人をプロデュースすればいい、となるが歌が上手すぎてなかなかそうはならない。幾らHikaruが自分の喉に合っていない曲を書こうとも、他の大多数よりはそれに合わせた歌唱を当てはめる技術をもっている。大抵自分で歌うだろう。

しかし、もしかしたらアイデアのストックはあるのかもしれない。ハナから「これは自分で歌うのに向いてない」と思えるメロディーや歌詞ならば、今までずっと日の目を見ていないケースも十分想定され得る。それがある程度溜まった暁には、誰か他のシンガーをプロデュースする機会がやってくるかもしれない。

多分問題なのは、混在していること、なのだろう。作曲者として、合う曲も書く、合わない曲も書く、ただそれだけなのだ。しかし、通常であればなかなかこんな事にはならない。アーティストのラジオを聴いた時に、リスナーの好みの曲が全然掛からないなんて事は、そのアーティストの音楽性に惹かれてリスナーになっている限りなかなか有り得ないが、宇多田ヒカルの場合、彼女の作品は盤が擦り切れる程聴いているのに熊淡で流れる曲はどれもこれもピンと来ない、という事例が往々にして起こり得る。しかも、ただの歌手ではなく自分で創った歌を歌っていて、である。

なので、熊淡で一度、「宇多田ヒカルの曲が好きな人にお勧めのこの一曲」特集を、もし組めるものなら一度聴いてみたいものだな、とは思う。果たしてそれはどんな選曲になるのか、いつもとどう違うのか、思惑は合致するのか擦れ違うのか、そもそもそんな選曲が果たして可能なのか、全く見通しがつかないし、そもそもそんなニーズがあるかどうかもわからないけれど、これを考えてみるだけでも熊淡を聴く時の頭の整理にはなりそうな気がする。理想をいえば、「ヒカルのファンだけどこの番組は合わないかな」と思っていたファンの気持ちが戻ってきてくれたら、と思ったりもするのだけどね。変な事を考えさせるシンガー・ソングライターだなしかし。