無意識日記々

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笑ってる場合でした

笑っていいともが来年3月で終了するんだってねぇ。増刊号ですら見なくなった身としては「寂しくなりますね」なんて口が裂けても言えないが、私は多分前進番組の「笑ってる場合ですよ」をリアルタイムでテレビで観ていた最後の世代なので(当時4〜6歳)、それを思うと感慨深いものがある。

当時の「笑ってる場合ですよ」のメンバーは吉本カラーが濃く、関西(と東海)のテレビで育った身としてはすんなりと馴染みやすい番組だった。漫才ブームの中核を担っていた人たち即ち関西圏のお笑い芸人主体の番組からタモリの抜擢というのはこちらからすればやや奇異にすら感じられた。

当時の彼は私には「今夜は最高!」のイメージが強く(何故幼稚園児が深夜23時の番組を知っていたのか結構不思議なのだが。そもそも関西でネットしてたっけ、読売テレビだぞ)、大人向けの音楽バラエティーをやってる洒脱かつ冗談のキツい人、という感じに受け止めていたから違和感は強かった。そもそもこどもにわかる笑いのセンスでもないし。そうやって始まった「笑っていいとも」は初期こそ前番組の「笑ってる場合ですよ」の色を引きずっていたが、直に東京カラーが強くなっていき、当時の私の言葉を借りれば、「関西テレビの番組からフジテレビの番組になっちゃった」のだった。何でもいいが6歳かそこらで「ネット局」という概念が頭に入ってるって当時の私が猛烈なテレビっ子だった事実を如実に表している事よなぁ。

その、キー局らしい「メジャー感」を出したタモリの功績は大きく、ご覧のように31年半も続く超長寿番組となった。様々なコーナー、様々なタレントが入れ替わりたちかわり登場したが、"森田一義アワー"という名そのままに、この番組は結局タモリの才能で延命してきた点に異論を唱える向きは少ないだろう。

私にとっては、この番組はタモリという人を学ぶ場でもあった。初期の頃は鶴瓶が何か言おうとする度に横から潰しにかかるので「ふざけたグラサンだなぁ」と思っていたものだったが、その横道逸れっぷりがさんまと化学反応を起こすのを観て「これでいいんだ、へぇ」と感心するようになった。彼のスゴ味は、こどもにはなかなかわからなかったのだ。

言い直してみれば、タモリを楽しめるようになればそれは「大人」なんだという事だった。「こどもなんて大っ嫌いだ」と言う彼に対してこどもだった私は…

…いかん、これじゃ彼が死んだみたいじゃないか。話の矛先を変えよう。

笑っていいともでいちばん印象的だったのは勿論ヒカルの初登場の回と照實さんが出た回だろう。むっちむちの露出バディに釘付けになり「ハプニング起これ!いや起こるな!」とよくわからない興奮状態になっていた事が昨日のように思い出される。変態で悪かったな。

そして、やっぱり2002年の照實さん代打回は、ヒカルの容態が心配でならず気もそぞろけんもほろろ(それは違うヤツや)な状態だった。観客を150人入れての生放送のトークコーナーという事で、その時その時のヒカルの世間での扱いみたいなものが露骨に出る番組だった。あれ、そういえばヒカルって徹子の部屋には出たことないんだっけ。年末のタモリは必見なんだがなぁ。関係ありそうで関係ないけれど。

残念ながら、あと半年という事ではHikaruがテレフォンショッキングに登場する望みは殆どない。人間活動中は「声は届けても姿は見せない」のが基本だったから。過去形になってしまうのが切ないのだけれど、そういう例外的な事情を除けば、やっぱり無いだろうなぁという予測になる。代わりに照實さん行かない? まだ2人ともネームプレート持ってるよねぇ。

仮に万が一出る事になったら(それはつまりこれからの半年の間にHikaruがアーティスト活動を再開するという意味だが)、是非2人で「亀仙人クリリン」のコスプレをして欲しいものだ。タモリ亀仙人やったらヒカルはクリリンやってくれるらしいから、是非。ずっとイグアナやってたんだから爬虫類になるのはお手のものだろう。いや甲羅だけか…。

まぁ2人の共演はこれからもミュージックステーションなんかで期待出来るだろう。残念なのは、そこに生出演して名前を間違えるべき他局の音楽番組がもうどこにも残っていない事なんだが。


このまま続けていても取り留めがなさそうなのでここらへんで切ろうか。本当はポール・マッカートニーオリコン初登場2位を記録したニュースについて触れたかったのにこんな事になってしまった。そっちの話は長くなりそうなのでまた次回と致しますかいね。