無意識日記々

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ええ土の話

スコットランドをルーツとして語る時「土」がキーワードになるとの事だが、確かにブルー・ナイルなどは「ダウンタウン・ライツ」みたいな"ラウンジ・ミュージック"が代表曲なのに、どうしても隠し切れない地脈のようなものを感じる。それは伝統的というか、スコットランドに共鳴する総てのミュージシャンが語るキーワードかもしれない。いや別に皆にきいてまわった訳じゃないけど。

スコティッシュと共に、お隣のアイルランドや、北欧各国も巻き込んであの一体の伝統的な音楽を「ケルト」として纏めて認識している音楽ファンも多い。私もその一人だが、ケルティックと言った時にはそれに対応した音階が頭に浮かぶのだが、スコティッシュと限定すると逆にその統一感は抽象的になる。区分けの統括度が下がると曖昧さが増えるというのも奇妙な話だが、例えばコクトーズなどは寧ろケルトというイディオムから如何に距離を置くかといった点に注力しているようにも考えられる…

…話が小難しくなってしまったが、Hikaruの"ルーツ"らしきものに名前が付けられる状況になった事実は兎に角画期的である。今の話も、Hikaruが今までケルトというイディオムから距離を置いてきた事を想起したからだ。恐らくいちばん接近したのはGoodbye Happinessだろうが、あれがケルトだと言ったらケルトファンからは煙たがられるかもしれない。そうではない、のである。

お隣のアイルランドでは、真っ向からのケルトといえば、例えば大御所のチーフタンズが居たりするが、一方でその色に染まらないU2の存在があり、そういった音楽の中で"アイリッシュ"というイメージが醸造されている。いい対比が思い浮かばないが、スコティッシュでもそういった風景が広がっている、という事だ。

もっとシンプルに言ってしまえば、バグパイプが似合うとケルトである。スコティッシュバグパイプアイリッシュバグパイプを積極的に使うとケルトっぽくなる。少し控えめだとそうはならない。それ位でOKだ。というか私もその程度の認識である。

そして、ケルトとは"土"なのだ。アイリッシュスコティッシュは、その"土"を前面に出したり、土壌として下敷きにして成り立っている。Hikaruの言う"土"は、土壌として下の方に隠れている類の"土"であり、その意識づけ自体がルーツという物事の捉え方なのだ。辿っていった先、根の生える所である。それがNY生まれの人からきけるというのは奇妙な感じだが、そこらへんの所からまた次回。