無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

体制化された反体制とそれら全部

ふむ。納品ツイートも放送告知ツイートもないのかな。録音予約する人の事を考えたら24時間以上前に一回告知、更に24時間以内にもう一度告知、というのが基本なんだが。ニコ生みたいに放送直前に番組開始メール送れるシステムとか出来ないのかねぇ…。


んじゃあ前回の続きの話でも。日本のアイドルの歌唱力は壊滅的、と書いたがこれは市場の特質に則ったもので、別に彼らが原因な訳ではない。寧ろ結果だといえる。ジャニーズの、"歌の練習してる暇があったら踊りの練習をしろ"という基本路線は全く以て正しい。歌唱力を気にしない層を相手にしているのだから当然だ。

それが日本の伝統か、といわれるとそんな事もなく。数多の演歌歌手は相当に訓練を積んでデビューしてきている。なかには、余りにも音程が正確過ぎてダブルで録音してもシングルにしか聞こえず意味がない、なんてエピソードもある位だ。真偽の程は定かではないが、そういう話に信憑性を持たせられてる時点で推して知るべしだろう。

そんな感じなので、歌唱力を問題にしないのは若い世代の特徴で…と世代間の差異に話をもっていくのもひとつの方法だが、私はもう少しズレた見方をしている。恐らくアイドル文化とは反体制の一環なのだ。

社会が成熟してくると、歌唱力の高い人間は自然と上からすくい上げられる。つまり、ファンのつけいる隙がない。日本のアイドル文化というのは基本草の根で、青田刈りをして「私たち俺達が最初から目をつけて育てた」と思わせるのが基本路線だ。親衛隊とか、あったよねぇ80年代。それをシステム化してメジャーにしたのがジャニーズとAKB、といえばわかりやすいかな。

従って、元々反体制というか"拙いけど魅力的"という人材をファンが押し上げる構図(これもまぁ芸能事務所やレコード会社がそう仕向けている訳だが)を、21世紀の今は更にシステム化して皆で取り囲んでいる為、事態は演出過多の"劇場型"へと発展する。それが私の現状に対する認識である。

話がちょっと難しいな。要は、宇多田ヒカルとは、そういう風に確立されたシステムの外側に居た癖に抜群の歌唱力を持っていた、というのがポイントだった。FMで火が付いて草の根的にヒットしていくのに歌が上手い、というのは独特の高揚感で、勿論ルックスという絶対条件は必要だったがそこをクリアーしていたお陰でアイドル的な扱いも受けていた。結局、全部を取り込んだのだ。メジャーからみてもマイナーからみても、彼女は魅力的に映った。珍しく"外側"からの視点で15年前の状況を描写してみたが如何でしたでしょうか。