無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

もう宜しいんとちゃいますやろか

フランチェスコって素敵な名前だけどカタカナ七文字って如何せん長い。いい愛称はないかとぐぐってみたら、パコ、パキート、キコ、パンチョなど、およそ原型から離れたヤツしかなく日本人の私には何とも馴染まない。Hikaruは彼の事普段何て呼んでるのだろう?…ってワイドショーかわしゃ。でも何か呼び名が欲しいよね。Tweetするときも字数少ない方がいいし。見た目からするとキコあたりがハマるかな? チェスコって呼んだら違うんだろうなぁきっと…。


さて歌詞の話。英語で宗教観を反映させた歌詞を歌った場合、イタリア人の皆さんはどれ位反応するのだろう? 彼らにとって、英語詞はどんな意味をもって響くのか。

その点がわからなくとも、例えば話題としてUtada Hikaruの歌詞が"物議を醸す"事は十分に考えられる。YMMPVも、殆ど注目されなかったから事なきを得たが、もし知名度が高かったらどうなっていたんだろう。ちょっとわからない。兎も角、某かの記事になって国際的に話題になれば、イタリア人のみなさんの目や耳に止まる事になる。そうなった時に大丈夫なのかな、というのが今回妄想している不安の中身だ。

余計な事は歌わない、というのがいちばんの処方箋だが、UtadaにおいてHikaruは結構面倒臭い内容の歌詞を書いていた。特にEXODUSアルバムでそれは顕著だ。Easy BreezyやThe Workoutは挑発的ですらある。"あの感じ"は、今後も再現されるのだろうか。

This Is The Oneでは、そういった傾向は薄かった。どちらかといえばシンプルなラブストーリーが中心で、それがその時目指した"メインストリーム・ポップ"の行儀作法だったのだ。

まぁいずれにせよどちらも十年前、五年前の話である。次がどんな風になるかなんて予測がつかない。

そこで考えるのは、今度の結婚相手は一般人で、Hikaruの仕事とは無関係な人なのだから、新曲を聴くタイミングも僕らと同じなのだろうか?という点だ。普通に考えればそうである。前夫はPVを幾つも手掛けていたから事前に曲を聴いて感想を述べる事も出来ただろう。或いは、制作そのものにも多少は影響を与えていたかもしれない。今度は、どうか。特に日本語詞曲については最初はちんぷんかんぷんであろう。もっといえば、Hikaruの歌に興味がないかもしれない。それはそうなったら面白いが流石になんだか切ないか。

という訳で、仮にHikaruがセンセーショナルな歌詞の歌を歌って国際的に話題になった時の家族からの反応とか、フランチェスコ君がHikaruの歌を聴くかどうかという根本的な問題とか、色々考えてみたが、理想を言うなら、逆説的だが、Hikaruの仕事と関係ない営みに従事しているのだから、彼は今後一切話題にのぼらない方がいいかもしれない。Hikaruが果たしてどう仕向けてくるか、暫しの間眺めておくことに致しましょうぞ。