無意識日記々

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"多様且つ同様に"

ヒカルの歌詞は本当に一環している。Give Me A Reason の歌詞を語る為にNever Let Goと幸せになろうを持ち出したが、ここに更にGoodbye Happinessを加えてみよう。

Never Let Go は「こどもの視点」或いは「若者の視点」からの歌詞である。これさ歌の中、歌詞の上では明示されていないが、『明日の私たちどこにいるの?』という一言に見られる漠然とした不安は、思春期に独特のものといえるだろう。

一方で、Goodbye Happinessは、こどもや若者を見守る大人の視点からの歌だ。これは恐らく皆も漠然とそうイメージしているだろうから説明は省こう。


若者は言う。
『真実は最高の嘘で隠して』
大人は言う。
『こどもダマしさ浮き世なんざ』
若者は言う。
『現実は極上の夢でごまかそう』
大人は言う。
『夢の終わりに待ったはなし』
まるで会話をしているみたいでは、ないですか。

Never Let Goの「こどもっぽさ」は次の一節に極まる。

『二人で靴脱ぎ捨てて はだしでかけていこう』

これと呼応するのが、Give Me A Reasonの最後の一節だ。

『こどもみたいに声をあげて走ろう』

まるで、Never Let Goの歌詞をGive Me A Reasonが解説しているかのようだ。「靴」とは、社会の仕組みに絡め取られている状態を表す比喩であり、これ自体はオーソドックスなものだ。大人としての節度を"脱ぎ捨て"るのだから、それは間違いなく"こどもみたい"だろう。

この無邪気さ無垢さの表現は、鋭い方は既にお察しだろう、Goodbye Happinessでは次のように表現されている。

『日に焼けた手足 白いワンピースが
 汚れようがおかまいなし 無意識の楽園』

汚れを気にしないのが無垢(innocent/汚れがない)という簡潔な指摘も秀逸だが、明示されていないもののここでの描写は『靴脱ぎ捨ててはだしで』と軌を一にする。12年経っても、描く風景は変わらない。


斯様に、ヒカルはおとなとこどもを幾つかの視点から多様に且つ同様に描いているが、ここにもうひとつポイントがある。それは、『こどもみたいに声をあげて走ろう』の、"声をあげて"の部分である。その話からまた次回。