『Passion』に見られる超越的な時間感覚を理解する一助に他の歌を取り上げてみよう。今回は『Goodbye Happiness』を。
GBHは視点が目まぐるしく変わる歌だ。1番のAメロはこう。
『甘いお菓子 消えた跡には
寂しそうな男の子
雲ひとつない summer day
日に焼けた手足 白いワンピースが
汚れようがお構いなし
無意識の楽園』
どう目まぐるしいかといえば。まず甘いお菓子が突然消えてそこに寂しそうな男の子が現れる。するとすぐさま青空に目が行く。甘いお菓子を綿菓子としてイメージするとすると、白~男の子~青と視界の視点がくるくると変わるのだ。更に日に焼けた手足は浅黒い。そこにまた白だ。青空には白がない(雲ひとつ無いのだから)からまたこの対比が鮮やかで、つまり、「白~男の子~青~浅黒~白~女の子」と視点がどんどん変わっていくのだ。
目まぐるしさの理由は、見えているものが変わるからだけではなく、誰がどこから見ているかまで変わるのが大きい。寂しそうな男の子と白いワンピースの女の子はもしかしたらお互いを見つめ合っているのかもしれない。
その視点の移り変わりを凝縮した一行がサビのコレだ。
『恋の歌 くちずさんで
あなたの瞳に映る私は笑っているわ』
さぁこれはどちらの視点からの事を歌っているのか。一瞬わからなくなる。実際に女の子が男の子の瞳を覗き込んで自分の笑顔が映っているのを確認しているというよりは、寧ろ女の子が男の子から自分がどう見えているのかを想像していると捉えた方がいいかもしれない。
そして、『Passion』には次のような一文があった事を思い出そう。
『思い出せば 遥か遥か
未来はどこまでも輝いてた』
この歌は、老人が大きな木の下で若い頃の事を思い出す歌でもあるのだが、何を思い出しているのかといえば若い頃の自分が思い描いていた未来についてだ。これはいわば、現在の老人になった自分を若い頃の自分が見つめているようでもある。
先程触れたGBHの歌詞とこのPassionの歌詞には深い相似を感じる。GBHでは男の子と女の子が向き合って、Passionでは老いた自分と若い自分が向き合ってそれぞれ相手の事を瞳に映し、相手から自分がどう見えているかを想像する事で世界を形作っている。それがGBHでは空間的であり、Passionでは時間軸上の話になっているのだ。
やはり空間と時間では時間の方が捉えづらい。まずはGBHの“空間的な見つめ合い”を学んでからPassionの“時間的な見つめ合い”に進むと、ヒカルの歌詞世界に対する理解出来るがより進むのではないか。わかりやすいところから始めれば初めは難解だと思っていたものも少しずつ見えてくるですよ。まずはじぃっと見つめてみましょうね。