無意識日記々

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35歳の僕っ娘は好きですか(A.Yes

『Play A Love Song』の歌詞で特徴的なのは、一人称が『僕』である事だ。

何年か前までなら、ヒカルの目線を男性なり少年なりに変換した結果としての『僕』だったが、今はそれとは別に「息子視点」も加わった。どれを採用すれば『Play A Love Song』の歌詞の見通しがよくなるか。まだまだわからん。

ただ、本人はまだ触れていないとはいえ、離婚というのは響くだろうか。「息子視点」に加えて「夫視点」や「元夫視点」などは有り得ないか。考え始めたらキリがないな。

ただ、流れというものがあるだろう。『あなた』の次のシングル曲である。そこに『僕』を投入してきたら、それは「今度は逆からかな」と訝ってもみたくなるものだ。

『内省す』るなんてこと、2歳や3歳のこどもには期待できないが、「未来の我が息子の成長した姿」でも想像してみるといいのかもしれない。

ここで、参考の為の比較として持ち出すなら『Goodbye Happiness』だろうか。曲調も似ているし、神聖なコーラスとか四つ打ちのキックとか、共通項も多い。そこには『あなたの瞳に映る私は笑っているわ』という何とも頭の中身の揺らぎそうな一文がある。ここらへん、確かに「主観と客観が同じ」と言い切る人ならではの囚われない感性が光るのだが、自在だからこそややこしい。

何しろ、ここには、「あなたの瞳」という名の鏡を通して冷静に自分の表情を観察する視点と、あなたが今見ている私の表情はこんな風なのねという相手の立場に立った視点の両方があるのだ。光でいえば、水面で反射した光と、水面に入射して底面で反射した光を一度に見るような、そんな捻れた感触がある。

『Play A Love Song』にも、『僕』をヒカルの女性としての声で歌う事で、そういった何らかの捻れた視点の折り重なりが在るのだろうか。次回あたり、ゆっくりそこらへんから考えてみたい―んだが、今夜の花晴れでの『初恋』の扱い次第で予定変更あり。