無意識日記々

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死生観その3

「その話の続き」に戻ろう。

『いつか結ばれるより今夜一時間会いたい』や『約束事よりも今の気持ちをききたくて』といった歌詞に見られるように、ヒカルは"今"を大切にする価値観を度々表明している。世間一般では刹那主義と言われそうなところだが、こと音楽家という生業に関していえばこれはとても大事な感性だ。

言葉は未来と過去を今と結びつけるものだが、音楽にあるのは今だけである。奏でられ響き溶けて消えていくだけのものだ。勿論今ある音楽と過去の音楽を比較参照する事は出来る。しかし、そうやって再生機で再生される過去の音楽は今再生機によって奏でられて響いて消えていくものだ。もっと言えば、その参照性を取り払っても音楽は音楽としてのアイデンティティを失わない。言葉は参照性を奪われたら途端に迷子になってしまう。そこを把握した上でないとこの価値観は刹那主義だと誤解を与えてしまうのだ。

この、音楽家に対して要求される感覚が母娘二代にわたって継承されているのは驚くべき事だ。2人の間には似ているところもあるし似ていないところもあるが、歌手として成功する為のエッセンスは悉く継承している。そりゃあ遺伝子と言いたくもなるわな。大抵はただのキャッチフレーズだけれども。

しかし、だからこそその才能を発揮させるには、市場に流通させるには、周囲の協力が必要だ。ヒカルに関しては、一度乗っかってしまえばマネージメント能力或いはプロデュース能力を発揮出来るので心配は要らないが、そもそも「さぁ始めよう」と言い出せるかどうかというのは未知数だ。宇多田ヒカルというアーティストは、三宅さんがCubic Uを見つけて「日本語の歌作らない?」と焚き付けたから始まった。その"史実"は案外存外意外に大事だ。ヒカルが自分からレコード会社にデモテープを送りつけたとかではないのである。

それを考えると、次のヒカルの復帰も"自らの意志で"というのは…果たしてそれが彼女に"できる"かどうか。多分、やった事がないんじゃないかと。自分の意志で頼まれたものを"やらない"と言う事はあっても、頼まれてもいないのに"やる"と言い出した事は多分ない。あるとしたら"ぼくはくま"かな…

となれば、復帰に必要なのは"絶え間ないオファー"なのかもしれない。たくさん断っているうちに、"あぁそれやろうかな"とヒカルが思えるものがあれば、そこでするりと復帰が決まるとかではないだろうか。本来なら、レコード会社が大々的なキャンペーンをはって"宇多田ヒカル復活祭り"を展開しそうなものだが、そのヒカルからの"YES" がいつ来るかわからない為、今は様子見なのかもしれない。こうなったら確実にオファーを得られるだろうEVAに期待したいところだが、桜流しのようにワンポイントリリーフ的にまたすぐ引っ込まないとも限らない。はてさてどうなりますことやらですわ。関係各所は兎に角怯まずにオファーを出し続けてくださいね〜☆