そういやちょでと前にヤフトピトップに「宇多田ヒカルの歌の絶妙の間」が云々という記事が載っていた。ああいった記事は執筆者本人がタイトルや見出しを決めているとは限らない為、あれでは羊頭狗肉だと思った人も多かったかもしれない。僭越ながら補足しておこう。
そもそも、デビュー当初から"リズム感抜群"という評は宇多田ヒカルの鉄板の評価であって、歌唱力の凄まじさがわからない人は居ても(本当は居ないのかもしれないが)このポイントだけは責められているのを見た事がない。そんな人の作り出す間が絶妙なのは言うまでもない事であって、ではその"個人芸"に依拠しない領域、即ち歌唱よりも作詞作曲でどういう風に間が創出されているか、そしてそれがどのような色合いを持っているかが解説されていなければならないだろう。
残念ながら、"HEART STATION"はその意味において最も相応しくない選曲である。いつもの疼くようなリズム・セクションは影に潜められていて、淡々としたリズムに淡々としたメロディーを載せる、どちらかというとユーミン的J-pop路線的楽曲だからだ。本来なら間がどうのという楽曲ではない。
しかしながら別の側面において、この選曲は妥当であった。それは、当該記事に記述されたもう一点、「日本人の心に響く」か否かという点である。それは、可視の載せ方にみる事が出来る。
といっても、それは秘術とか隠し味とかではなくあからさまなまでに明らかなポイントだ。記事にあった通り、休府部分に○を入れて歌詞を引用してみよう。
『わたしのこえが○ きこえてますか○ しんやいちじの○ハァトステイション』
七文字続いて○がひとつ入る繰り返しが続いている。『ハァトステイション』のところは8文字だが、最後の『ン』が○の代わりになっている。
これは何かといえば、日本人にお馴染みの俳句・短歌・連歌のリズムなのだ。五七五七七。なぜ、五七五のリズムが大事さを学校で教えないのか不思議で仕方がないが、五七五七七とはエイトビートの事なのだ。
「タタタタタン○○
タタタタタタタ○
タタタタタン○○
」
一行あたり八拍である。
このリズムに乗ってさえいれば字余りや字足らずも許容される、と教えれば合理的なのだが。で、HEART STATIONは見事にこのリズムに合わせて歌詞が乗っている。こうやって日本人にお馴染みの俳句・短歌・連歌と同じリズムに合わせた歌を歌う事で日本人の耳に馴染みやすいPopsを作詞作曲しているのだ…
…と話をしめれればいいのだが、こんな事宇多田ヒカルに限らず沢山の人がやっている事なので彼女の作詞作曲の独自性の解説とまではいえないか。本当に彼女ならではの"間"の創出術に関しては…気が向いたら次回また書く事にしようかな。その時の私の気分次第で、ね。