無意識日記々

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「音楽鑑賞は一日一時間」??

昨日は耳の日ということで…ってそれとWHOは関係ないだろうけど、「音楽は1日1時間」的な見出しの記事が取り上げられていた。爆音に晒され続けて難聴になる話。

確かに、大音量に長時間晒され続けると難聴になる確率は高まる。避けられるなら避けるに越した事はない。しかし、だからといって勧告通りに音楽を一日一時間に制限して生きるのは馬鹿げている。何故なら、それだけで既に確実に一生のうちに聴ける音楽の総量が減るからだ。

何より、肝心なのは、大音量に晒されなくとも人の聴覚は衰えるという事だ。耳の遠いあなたのおばあちゃんおじいちゃんは若い頃から大音量で音楽を聴いてきていたか? 必ずしもそうではないだろう。大音量は聴覚に対するリスクの一つではあっても総てではない。もし音楽を一日一時間に制限してまで老後の聴覚を守りたいのであれば、他の考え得るリスク要因総てを潰して回らねばならない。

要は、程度問題である。若い頃に爆音に晒され続ければ聴覚障害のリスクはうんと高まるし、だからといって過剰に音楽鑑賞を制限すると、人生全体で得られるベネフィットが老後に聴覚障害に見舞われた場合よりも確実に下がる。しかも、他のリスク要因を取り除く努力をしなければそれでも老後の聴覚が衰える可能性がある。確実にベネフィットを下げしかもリスクはまだまだ残ったまま、となると確実に損である。

「いやぁ、別に音楽なんてそんなに生活の中で重要じゃないし」という人は一日に一時間も音楽を聴かないし、そもそも人生の中で爆音に晒される機会が無いだろうからこの話に於いては考えなくていいだろう。「一日一時間」を"制限"と捉える程の音楽好きにとっては、一日一時間という制限は確実に一生のうちに楽しめる音楽の総量が減りますよ、それでもいいの?と問い掛けているのだ。

それに、音楽を浴びる事の、年齢に対する効用についての考察が足りない。私ももう随分歳だが(と書くとまた誤解されるかなぁ)耳の健康を気にするよりも、若い頃に沢山の音楽を吸収しておいた方がいいなぁ、というのが生きてきた実感である。一生のうちの音楽鑑賞時間に上限があるのなら、若いうちに消費してしまっても構わないんじゃないか。どうせ歳とったら結局耳が遠くなるかもしれないんだから。

でも、歳とってからもヒカルのコンサートに行きたい、と思っている人は出来るだけ耳は大切にした方がいいよね。なので、一日一時間にする必要はないけれど、音量を上げるのは程々にしときましょー。