愛のアンセムは、“愛の賛歌”と“Spain”をマッシュアップした事で話題になった。愛の賛歌をカバーしてもSpainをカバーしても「またか」と言われるだけだ。スタンダード過ぎるナンバーの宿命である。しかし、その組み合わせが奇異であるならば、それらがお馴染みであればあるほどマッシュアップのインパクトは増強される。今振り返ってみても、ヒカルらしいなぁと思う。
更にWILD LIFEではその愛のアンセムがピアノをバックに歌われた。歌詞はヒカルが新しく書いたとはいえ、ありゃただの愛の賛歌のカバーだ。そこが、面白い。ただフツーにカバーしているだけなのに、スタジオ・バージョンを経由する事で新鮮に聴けた。マジックといえばマジック、トリックといえばトリックである。魔術師なんだか奇術師なんだか手品師なんだか。
これはつまり、全体的にヒントになっている。奇異なアイデアは出来るだけ既知のアイデアから出発させてコントラストをハッキリさせる。そうやって一度先手をとれば、何でもないものでも美味しく召し上がってうただける。もっとも、ライブでの愛の賛歌の歌唱は期待以上に素晴らしく、あれを“何でもないもの”と呼ぶのは無理があるけれども。
宇多田ヒカル自身も、そうやって演出するべきか。ただ、だからといってAutomaticやFirst Loveをいじくって云々したりしても「ネタ切れかよ」と思われるだけで旨味が無い。それでも何らかの方法で「思い出してもらう」事もまた必要だ。嗚呼、ヒカル自身が「まっさらな状況から始めたい」と思っている場合はこの限りではないが。
そこはまぁリスナー次第かもしれない。5年前だって愛の賛歌もSpainも知らず、愛のアンセムで初めて両方を聴いたという人も多かろう。自分だって説明がなければバックの演奏を聴いて「あぁ、ジャズっぽいな」くらいにしか思わず、Spainだと気が付かないまま年月が去っていたかもしれない。同様の"誤解"が、今も現在進行中かもしれないですがね。
そういう意味では、出方によっては「ファン層の剪定」が自動的に行われるかもしれない。ヒカルが自発的に剪定なんてする筈もないが、やってみたら案外こっちだった、という状況も、有り得る。
どのレベルで「あの宇多田ヒカルが還ってきた」と感じさせればいいか、それはとても難しい。考えなくてもよいかもしれない。しかしそれでも、何らかの方策は考えておいた方がいいのかもしれないね。