無意識日記々

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地雷という地雷

 

ヒカルさんが「EIGHT-JAM」 「with MUSIC」で「地雷が増えた」という話をしていて、そうだよねぇ、人の心や発言で踏めるところ少なくなったよねぇと共感すると共に、「その比喩はありなのか?」とも私は思った。

 

少し話が逸れるが、前に「水曜日のダウンタウン」で、ゆっくりお喋りでお馴染みの戦場カメラマン渡部陽一氏をゲストで迎えた際、彼の仕掛けたドッキリに対して「渡部さんはどこで怒るかわからない。地雷が分からない。」というコメントが為された。それを聴いた松本人志がすかさず「渡部さんを例える時に“地雷”はやめた方が」とツッコんで笑いを巻き起こしていたのだが、このタイミングでこの切り返しが出来る頭の回転の速さと、笑いに持っていく為の声のトーンや切り出し方の微調整、つくづく笑いの天才衰えとらんなと痛感した。って、あたしもヒカルが「EIGHT-JAM」を観た時同様、切り出し動画を後から観ただけなんだけどもw

 

で、逸れた話を戻すと、そうなのよね、人によっては「地雷」という喩えも洒落にならんのだよな。戦場カメラマンなら本物の地雷を避けて、或いは被害を目の当たりにして生きてきてるのだろうし、人類の歴史上でもかなりのシリアスな被害を振り撒いてきた装置のようなので(それもまだまだ現在進行形で)、これを笑いにもっていくのは結構時と場合によるかもしれない。日常生活に地雷のない人にとっては作劇やゲームの中の存在でしかなく、踏み抜いたらゲームオーバーくらいのものでしかなくもあり。言葉の意味する所は、その放たれる場所次第という事だわな。

 

唐突に言葉狩りをしたいわけではないのだけど、戦争のニュースがトップに来る事がかなり多い今のご時世だと、地雷という言葉がそれこそ地雷として気をつけるべきワードになるのかならないなか、という判断の中で、ヒカルは今はOKを出したのだな、そして番組スタッフもこれがマズいという受け取り方をしてないのだな、という現況把握はできた気がする。

 

私はこういう「言葉のあや」に敏感な方だと思う。なぜなら人より遥かに失言が多いタイプだから。気にせざるを得ないのだ。つまり、根が鈍感だから敏感になるように自分を仕向けてるだけで、本質的には全くそういうことに疎い人間だったりする。だからこそ、たとえば誰一人噛み付いていない「地球を回す力」という表現が気になったりもする。今回の"地雷"もまたそういう「鈍いヤツの行き過ぎた気にしぃ」でしかないのだけど、果たしてヒカルさんは、地雷という言葉を使った時にそれが踏んだ人の足を吹っ飛ばす兵器の事だと自覚してたのかどうか。それはちょっと、気になったかな。