無意識日記々

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ランニングタイムテルズアスユアコンフィデンス

ザ・ビートルズを聴いているとその潔さに吃驚する。50年代や60年代の(特にイギリスの)Popsが概ねそうであったから、という時代背景はあるものの、イントロもそこそこにいきなり本題に入り、勿体ぶらずにスパッと終わる。Please Please MeやYesterdayといった名曲はたった2分、130秒に満たない長さだが、他のどんな楽曲よりもリスナーに満足感を与えられる。この半世紀に多分数十億回位誰かが言ってきた台詞だが私も言おう、やっぱ凄いわ。

大体、メロディーがサビとブリッジしかない。全く無駄が無い。現代の基準と比較するのはやや恣意的とはいえ、大仰なイントロダクション、もって回ったAメロ、盛り上げにかかるBメロ、やっと辿り着くサビ、という展開に慣れさせられている耳からするともうなんていうかカルチャーショックかつジェネレーションギャップだよホント。

イントロどん! サビぐわっしゃ〜! ブリッジで繋いでもっかいサビ! アウトロずがん!終了! こんなんで楽曲が成立するのはメロディーに全く無駄が無く、且つひとつのメロディーがひとつのドラマを構成する為に費やすのに音符が幾つも必要だからだ。逆説的だが、サビメロの尺が長いから間がもつ。普通のPopsでサビだけで曲を構成しようとしても逆に2分ももたないのだ。馬鹿馬鹿しい結論だが、彼らは天才メロディー・メーカー・チームだからこそ曲が短い。短い尺でも曲として成立させられるのだ。

ヒカルの曲で唯一、彼らと同じ芸当を成し遂げた楽曲がある。演奏時間約2分33秒の童謡「ぼくはくま」だ。あの曲はメロディーに全然"緩み"がない。ずっと同じテンションを保ったまま2分半が過ぎる。そして『ママ』というピークもちゃんと作ってある。

如何にヒカルとて、ずっと楽曲中テンションが落ちないようにするのは至難の技だ。traveling桜流しはいいセン行ってると思うが。Goodbye HappinessやCan't Wait 'Til Christmasといった楽曲は、サビメロはこの上無いがAメロが弱い。(作曲者の作曲の傾向が)そういう時期だったから仕方がないのだけれど、これらの曲がぼくはくまのように3分未満に纏められるようになるといよいよヒカルの作曲能力もレジェンドの域に達するだろう。いや既にレジェンドですがな、と突っ込まれそうだけれども。

だから、ぼくはくまを『最高傑作かもしれない』とヒカルが口走ったのは血迷ったのでもくまちゃんの魅力に絆されたのでもなく、ただ単に直感的にそう思ったから言っただけなのだ、と毎度僕は解釈している。

過去に書いた事をこうやってまとめなおしているのは他でもない、来たるべきヒカルの新曲の出来をみるにあたって演奏時間、Running Timeというのは魅力的な基準のひとつになるのではないかと思うのでひとつ注目してみませんか、という提案である。短く簡潔に纏められた曲ほどメロディーが強い。メロディーさえしっかりしていれば、演奏時間が短くても曲として成立する、リスナーを満足させられる、そういう基準でみてみるのもいいのではないか。

しかし、なかには、桜流しのように、組曲風の展開にした為にやや演奏時間が長くなったようなケースもありえるから難しい。初めて桜流しを聴いた時、その圧倒的なスケール感から6分台くらいの長さなんじゃないのと思ってみたのに実際は5分もない、4分40秒の曲だと知って愕然とした覚えがある。時間の認識なんてそんなものなのだが、ヒカルが『ぼくはくま』並みに自信をもって発表できる楽曲がニューアルバムに含まれている事を夢見ながら、少しずつ2016年を迎えていきましょうかね。もう年の瀬だし。23時過ぎからはNHKFMで例の渋谷伊藤大貫鼎談による2016年振り返り企画2時間スペシャルがあるからそれを聴きましょうかね。(謎の番組宣伝)