無意識日記々

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ふわふわしている

今朝方moraのランキングでヒカルのアルバムが年間1位だったというツイートを見掛けた気がするけど気のせいか。他のミュージシャンは何をやっとるんだ。多分、何かの見間違いだろう。きっとそうだ。

ふわふわしている。本当に読めない。Webを見ている程度で何かわかった気になれないのは仕方がないんだがそれにしても。ヒカルの評価はそれは高いけれどもこの人たちお金払いますかね? これがようわからんのだなぁ。

課金ゲームにせよ課金アイドルにせよ、極一部の熱心なファンは車の一台や二台購入できるだけの額を一年かそこらで注ぎ込んでいる。半世紀前なら車を買ってた筈の収入を課金に替えているだけと言ってしまえばそれまでだが推しが20年30年モノの長続きコンテンツだと本当に家が建つくらいの課金に成る計算だ。最早それ課金というのか。

彼ら彼女らは極々一部だが、極端な話そういう存在が市場の核になる。或いは、奉り上げられる(変な日本語)。競争意識の極北と云おうか、愛情表現を他者と比較しだすとこうなる。つまり、競争意識の化身という訳だ。


ヒカルのファンがそれとは対極に居るだろう事は想像がつく。どちらかというと、居てもコレクターくらいだろう(具体的な面々を思い浮かべながら)。これはファンの側の意識というよりアーティスト側の意向である。ファンクラブ運営すれば如何に弱小事務所でも一生安泰を保証されているというのにこれをやらない。悪く言えば「いつでも気まぐれで辞められるように」という事だが、結局は常に真剣勝負故に結果を予め担保できないヒカルの誠意から来るものだろう。

それなのに結構「ものわかりがいい」のがヒカルの弱点というか美点というか。できたものをどう売るかに関してはかなりレコード会社側の裁量に任せている。これも、梶さんがクソ真面目に「アーティストの意向を最大限尊重する」ポリシーを貫いているが故の信頼関係ではあるが。

ヒカルが複数枚商法などに頼らずに得ているものは「本格派アーティストとしての良心」、みたいな"評判"である。つまり、レコード会社としては、この"評判"を"評価"として数値化し、出来れば"収益"にまで持っていきたいのだが、これにどういうルートがあるのやら。

朝ドラの主題歌というのは、このルートがいちばん不透明なエリアだ。殆どの人がせわしい朝に流し観してるだけの、いちばん"軽い"コンテンツである。認知度という母数に対して購買数という子数は余りに少ない。代わりに、「誰でも知っている」という強力な評判が得られるが、こと知名度に関しては最高クラスの宇多田ヒカル、寧ろ半年で入れ替わる朝ドラに対しては「貸し」にすらなる。助けだね。どうにも、実は、レコード会社的にはメリットが少ない。

大体、毎日テレビで聴ける曲をわざわざ買うかね。という訳で、こちらから期待すべきなのはドラマが極端に面白くて視聴率が鰻登りになってついでに主題歌にもスポットライトがという展開だが、あまちゃんクラスの波を作り出せるというと…暮らしの手帖か…。


まぁいいさ、総ては観てからだ観てから。今言ってたって仕方がないさ。(という話ばかり5年ほど続けてます。)