無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

手紙と電話で一度通ってきてた道

4文字全部伏せ字っていうのはだな…もういいか(笑)。

2222ツイート、フォロー22人、フォロワー2222222人が同時に達成されたら神だな〜。でそのタイミングでヒカルがフォローを1人増やして23人にして「そこは己で調節できるとこやろがいっ!」とツッコまれるくだりまでがワンセット。

ヒカルの呟く人生も6年に及ぼうかという訳で立派に生活の一部だが、ログは公式で保存しているのかな。まぁその気になればtwilogで補完&保管を…ってサービスがいつまで続くかなんてわかったもんじゃあないしなぁ。

とはいえ、Webの使い方も昔とは違ってきているのは事実で。普段のお喋りを逐一録音している人を見掛けないように、Webでの発言も日常のお喋り化して後に残すという意識は希薄になっている。書き言葉というものの地位が変わってきているというべきか。

勿論、そうであっても我々は、整った書籍を読む時の態度は従来と変わらないし、Webでのお喋りは別物だという認識でやってきている。特に対応に時間がかかった訳でもない。

Message from Hikki は特異なもので、平易で親しみやすい文体で書かれている割には本人は何時間もかけて推敲していたりと、傾向としては手紙に近い。今は手紙を書かなくなって電話ばかりしている、という状況だろうか。僕らも大昔に一度通った道なんだな。

運はよかったな、と思う。98〜99年にTwitterがあったらきっと危なっかしくて見ていられなかった。Message from Hikkiというフォーマットがあったからこそヒカルはゆっくり考え練った上でメッセージをアップロードしていたのだ。そして今は、多分そこまで深く考えなくても、いや、自動的に脳が動いて適切な一言を呟くようになっている、というべきか。長年Message from Hikkiで鍛えられたお陰でリアルタイムにも対応できるようになっている。台本ありの漫才からその場での即興フリートークに軸足を移したダウンタウンみたいなものだ。いつもこの喩え出すな俺。

ダウンタウンがファンからたまにまた漫才が見てみたい、と言われるように、ヒカルもまたMessageを読んでみたいとオールド・ファンから言われる。いやそんなに言われてないかな。わかんないけど、今のヒカルは、練っても練らなくても大して変わらないかもしれない、とも思う。33歳にもなれば“脳が勝手に考えてくれる”からだ。それを確かめる為にもまたたまにメッセージを書いて欲しい、と思ったり思わなくもなかったりもする。思ってる。

今は何か節目の時だけMessageが発信される。「残しておきたい言葉」だ。残したいのと伝えたいのはまた少し違う。使い分けが出来るのはいい事だ。あとは、また新しいWebサービスが出た時に考える事にしておこう。