無意識日記々

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セトリ鎖国

次のLIVEで楽しみなのはUtada曲の扱いである。In The Flesh経験組としては、どの曲も分け隔てなく歌ってしまうのがいちばんHikaruらしい、と実感しているので、Utada曲だからといって歌わないとかそういう制限は要らないと思っている。勿論Cubic Uの曲でも、Close To Youのようなカバー曲でも構わない。Sukiyakiを歌ったっていい。歌手Utada Hikaruが歌える歌なら何でも歌って最高の夜にする。妥協は要らない。

観客のニーズは、LIVEを成功させる為には欠かせない情報だ。曲名を言っただけで会場のボルテージが上がる曲だってある。ピアノのイントロだけで悲鳴が上がる曲がある。そういうのを優先させていくとUtada曲は残らない。であるならば、仕方がない。

しかし、観客のニーズに合わせて期待に応える一方で、新しい出会いを与える事もミュージシャンから観客への贈り物だ。「こんな歌が聴けるだなんて!」という驚き。リスクはあるがハマった時の盛り上がりは相当なものだ。

時間がかかる場合もある。何度かツアーで歌って馴染みの曲になっていけば良さが浸透するものもある。短期中期長期で「“最高の夜”とは何か」について取り組んでいかねばならない。30年後にも3日後にもその時点で最高のLIVEが出来るように。

例えばDevil Inside, Kremlin Dusk, You Make Me Want To Be A Manの3曲も、UTADA UNITED 2006での反応は芳しくなかった(評判はよかったぞ)が、それは皆が曲を知らないからであって、あそこから何度もツアーを敢行して歌を覚えて貰っていけば、そのうち物凄い歓声を浴びるパートになるだろう。間違いがない。

しかし、問題なのは、Hikaruがいい曲を沢山作り過ぎた事だ。どの曲を歌っても素晴らしい。それなら皆の喜んでくれる曲を…となってグレイテスト・ヒッツ満載の安全策に収束する恐れが他のアーティストと較べても高い気がする。特にヒカルは「あの歌歌うのもう飽きた」とか言いそうにないし。観客の喜ぶ事を躊躇いなく実行できるプロフェッショナルだからこそ、知名度と実績が新しい扉を閉ざしていく。

試しに歌ってみたらいいのだ。日本の観客はIn The Fleshの観客のように総ての曲を大歓迎、とはいかないかもしれない。でも、だからってヒカルの曲ばかり歌っていたら世界の中で日本のセットリストだけが孤立してしまうかもしれない。やるだけの価値は、あるんじゃないかな。