無意識日記々

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最後の一文は嘘かそれとも

あら、新しい企画が立ち上がったのか。まだ詳しくは見てないので特に何もないが、父の日母の日のギフトに、被災地支援かな。抽選でアマゾンからくまグッズが届く、なんてことしたら両方へのサプライズになるんじゃないかな、とか考えてしまうが、詳細はまた。


未だにiTunes Storeでは『花束と君に』&『真夏の通り雨』がワンツーフィニッシュだ。梶さん嬉しいだろうな。でもヤフトピ記事の直リンクはやめておいた方が。コメント欄読まれたら面倒くさいよぉ。

こちらとしても開口一番「2曲とも売れねぇだろうなぁ」と言った手前、このまま配信が好調だったら予想を外す事になるな。

毎度難しいと思うのは、評価というもので最大多数派は常に「周りの雰囲気と顔色を窺う人たち」なので、何かの拍子で絶賛勢が有利な絶賛の嵐、酷評勢が優勢になったら袋叩き、という風に、情勢は極端に傾きがちだ。各々が自分の耳と心にしたがって好き嫌いを勝手に言えるところから始めないとどうしても、そうなる。

更に悪い事もある。先述のヤフトピの記事のコメント欄は、反応の大きいコメントほど上位に来るシステムだ。勿論時系列順など他のソートも出来るのだが、こういうのは初期設定でしかなく幾らでも変えられる事すら認知されないまま読まれるケースが大半で、小さな集団が頑張れば幾らでも偏った意見を上位に固める事が可能だ。一昔前は2ちゃんねるまとめサイトが偏向していると話題になった。実際にコメントを抽出したスレッドでは様々な意見が渦巻いているのにまとめサイトでは非難一辺倒に、とかそういう具合。手法は異なるがヤフトピのコメント欄も同じ事になっている。歴史は繰り返す。

非難だらけなのは精神的に堪えるが、絶賛一辺倒もそれはそれで居心地が悪い。「それほどでもないと思う」とか「いやそれってやっぱり間違ってるよ」と素直に口に出せないのは辛い。皆がもつ興味がバラバラだから世の中成り立っている訳で、その多様性を失えば後は死ぬしかない。

特にヒカルの場合、同業者や識者で絶賛しない人は皆無な為、気軽に歌謡曲やPopsのひとつとして触れて「つまんないな」と思った人の居場所がなかなかない。その遣る瀬無さを拾ってくれる場所があれば、どうしてもそこに縋る事になる。しかし、それが肥大化した時に、ヒカルの音楽は残酷になる。もしかしたら、まだまだスケールアップの余地があるのかもしれない。そういった事ですら新しい成長の契機と捉えられるならば、ね。


音楽は実在する。それだけの事なんです。