無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

After all, that's you and me.

今週月曜日のとと姉ちゃん片桐はいりが出てきて大島優子の、じゃない、平塚らいてうの「元始女子は太陽だった」の演説をしていたけれど、それだったら、月曜日で歌尺長いんだし、『花束を君に』も3番の歌詞使えばよかったのにな。

『世界中が雨の日も
君の笑顔が僕の太陽だったよ』

この歌詞をまずは一旦ヒカルと圭子さんの母娘関係とみて解釈した訳だが、ご覧のように、歌詞の人称は『君』と『僕』である。「僕っ娘だったのか」と我田引水するのも嫌いではないが、通念上「僕」は男子の一人称だ。一方、「君」の方の人称には性別は無い。「僕」と組み合わせれば女子に、「あたし」と組み合わせれば男子になる。勿論、僕と君両方男子、君とあたし両方女子でも一向に構わないがここらへんから趣味嗜好の差異が激しくはなるわな。

ヒカルの歌詞で人称は常にトリックである。『光』と『Simple And Clean』を思い出してみよう。

シンプルに、『光』で人称が出てくる歌詞を書き出してみる。

『君という光が私を見つける』
『未来はずっと先だよ 僕にもわからない』
『君という光が私のシナリオ映し出す』
『テレビ消して私の事だけを見ていてよ』

君と僕と私が出てくる。シンプルに纏めるなら「"私"が"僕"の事を"君"と呼んでいる」か「"僕"が"私"の事を"君"と呼んでいるかのどちらかなのだが、適切にこれを当てはめるのは結構難しい。というか、パッと聴いてわからないように作ってある、と言った方がいいか。

違う角度から見てみよう。『光』と『Simple And Clean』のメロディーの特徴といえば。Aメロでは伸びやかに歌い上げ、Bメロでは地を這うような低い声を出し、サビでは再び伸びやかに歌い上げる、という構成上の落差である。『光』の場合は更にサビに跳ね上がるような躍動感が加わる。歌の歌詞は、このメロディー構成に沿ったものになっているのだ。どういう事かというと…続きは又次回。