無意識日記々

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暖簾をくぐって実食

そうか、10年前の今日はMステで『Flavor Of Life - Ballad Version』の出だしをとちってたのか。あれから10年。早いもん…かどうかはわからんなぁ。この日記の10年分の分量をみると「あっという間」とかいうのは幅かられる。(笑)

10年前は既に『First Love』が"一昔前"だった訳で、その感覚でいくとFoLも"今は昔"の仲間入りを(とっくに?)果たしている。このクラスのヒット曲が10年に1曲あれば、望むと望まざるにかかわらず地位安泰という印象をもたれる。

その認識でいえば、そろそろFLやFoL並みの特大ヒットが出て来ないかなという期待が煽られ得る。昨年の『花束を君に』はかなりいいところまで行った。紅白にも出て歌った歌だし。ただ、もう一段階行けるだろ?とは皆思ってる気がする。気軽に無茶言いやがってな。

といっても、如何にヒカルとてこのクラスの特大ヒット曲は狙って出せるものではない。FoLだって最初はバラードを作るつもりがなかったのに、いざバラード・バージョンを制作したら「これを待っていた」という反応が続出したのだ。全くの想定外だったろう。


ただ、何か不思議に思うのは、10年前の"期待感"みたいなのが、なんだかやや希薄な感じがするのだ。昨年。『Fantome』があれだけ売れた事で皆「やっぱり宇多田は違う」と評価されたが、それは、ヒカルがどうのというより邦楽市場の看板を死守した、という感じだった。10年前はまだギリギリ、多種多様な邦楽アーティストの中でヒカルの特別さを確認する作業だった気がする。大ヒットを記録しても、市場での意味合いが随分違った。なんだかんだで、数字による評価に重きを置く風潮がより定着しているようにも思う。いいか悪いかはわからない。市場を救って欲しい、というのと、市場の中で個性を発揮して欲しい、というのは対局に近いかもしれない。

もっとも、出荷配信合計ミリオンのうちの殆どの人は「歌が気に入ったから」とか「何やら話題になっているから」という動機だったろうから、そういう区別に意味があるかどうかはわからない。

もうそういう、死守のサインは送れてしまった訳で、これからこそ一曲々々が評価されていくのかもしれない。昨年は、結局のところ、宇多田ヒカルが復活して市場を席巻する、という物語の方が重視されて、個々の楽曲の評価は後回しになっていた気がする。今、ヒカルがそこに居るのが日常になって(嗚呼、いなありがたや)、やっと皆が落ち着いて一曲々々を評価できる空気になってきたような。空気の準備が出来ても、本当に為されるかはわかりませんがね。

昨年で「ブランド力の証明」が為されたと判断するなら、今年はその実質に目が移る…それこそ絵空事だが、その状況でFLやFoLに匹敵する特大ヒット曲が生まれたら、凄い事になるだろな。