無意識日記々

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だらけぎった日本語

イタリア人との子をもうけロンドンに住みながら作ったアルバム『Fantome』の収録曲名が日本語だらけ、というのはだからこそ自分の日本なところを自覚したのか、或いは母親が純日本人だったからか。国というのは曖昧な存在だが、言語の違いは確かなものだ。言語内部では日々変化はあるが、今日日本語だったものが明日英語になってる、とかそういうレベルの話ではない。そもそもの言語としてのアイデンティティが変化するには何百年とか何千年とかのタームが必要である。

そんな中でも比較的すぐに外部から変化をもたらせるのが外来語の存在である。例えば文法・構文といったもの(主語や述語の位置とか前置詞の存在とか)は一朝一夕では変化しないが、名詞はすぐに変化…というか、増える(一方で滅んでゆく=使われなくなってゆく語もある)。固有名詞はすぐに新しいものを取り入れていかなくてはならないし、普通名詞も定着してしまえば新しい日本語として辞書に載る。外来語はその代表格である。特に日本語は表意文字とは別に純粋な表音文字としてカタカナがあるから、一旦カタカナに落とし込めてしまえば、まるでもうずっと日本語でしたみたいな顔で振る舞える。

『Fantome』が全曲日本語タイトル、と言った時に唯一引っ掛かるおそれがあるのが、『二時間だけのバカンス』だ。バカンスだけカタカナ、即ち外来語である。しかし、既に感じられているだろうが、バカンスという語自体が日本語の単語としてすっかり定着してしまっている。由来は兎も角、使う方は完全に日本語として使っている。したがってそれは最早"vacances"の表音をぎこちなく表したものではなく、歴とした意味をもつ日本語として機能している。その意味において『二時間だけのバカンス』も日本語表記タイトルだと(普通に)解釈してよい。

そこがこの歌のちょっと面白いところで…という話からまた次回、かな? 半日経つと前回「続く」にした事自体をすっかり忘れちゃうんだよねぇ。時々その続きを考えてなくてしらばっくれてるだけの時もあるんですがね(笑)。