無意識日記々

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ごめん、愛してる?愛してない?

『Forevermore』はドラマにハマり過ぎるほどハマっている。ドラマにのめり込めない勢からすれば曲にドラマのイメージが染み付いてしまうのはよしとしないかもしれないが、佐ほど抵抗なく毎週見ている身としては「限りなくベタだなぁ」と半ば呆れながらそのハマり具合を楽しんでいる。

俗っぽ過ぎる程に俗っぽい、もうどちらかといえば昼ドラに近い作風なのだが、それにこういうモダンなサウンドをアジャストさせてくるとは素直に恐れ入る。いつでも幾らでも高尚になれるんだろうに「大衆の音楽」としての矜持を忘れない。一周まわって誇り高い。

歌詞の使い勝手もいい。お馴染み視点の転換も見事に許容してくれる。TBSドラマとしては冬彦さんの最終回を思い出すが(話が古すぎる)、歌詞の視点が主人公だったり、相手役だったり、不義の相手役だったり、親だったり友だったりを想起させるのは大事である。特に今回は「息子を溺愛する母」と「(実の)息子を毛嫌いする母」の両方が出てくるのが興味深い。

ザコンを、息子の方からではなく母親の方から描く視点はそれこそ視聴者層が限定された昼ドラの手法だが、宇多田発言監視隊からすれば(何なんだそれは)、母親から天使とも悪魔とも呼ばれたヒカルの心境を慮らざるを得ない。

「子を愛する母」と「子を嫌う母」。ドラマの中ではそれを生き別れた兄弟の弟と兄に割り振っているのだが、ひとりっ子のヒカルはその両方をいっぺんに、或いは日によって代わる代わる体験した。具体的なエピソードは知らないのだが、不安定な圭子さんの精神がヒカルに希望と絶望の両方を等しく与え続けたといえる。その「運命と和解」する為には歳月を要しただろう。

その二面性ある背景を念頭におきながら『Forevermore』の『あなただけ』という歌詞を聴くと切ない。母からみれば子は2つに(まるで"2人"に)見えているけど、私にとっては「たったひとり」の存在なのだ。

ドラマの中で生き別れた兄弟がそれぞれに母との運命に和解するプロセスが描かれるとすれば、ヒカルの精神史を考える上でも参考になるだろう。テレビドラマなだけに、わかりやすい形で描いてくれる筈である。

とはいえ、いかに悲劇と悲恋の物語とはいえ、これはあクマで娯楽作品。そのようなややこしい事は考えず、素直に登場人物たちの数奇な運命に一喜一憂するのが楽しみ方ってもんだろう。『Forevermore』は、その物語を彩る素敵なサウンドトラックになっていればそれで十分なのである。肩の力を抜いて引き続き視聴を…って明後日放送ないんだっけ!?(笑)