『Forevermore』で特徴的なのは、主人公になぜか"死の影"が迫っている事だ。これがこの歌を単なる片想いや失恋の歌とは異質なものにしている。
次の2節にそれは表れている。
『私の終わりなんて怖くない
もしかしたら
生まれ変わっても忘れない』
『最後の瞬間を待たずとも
これだけは言える
Forevermore』
『私の終わり』と『最後の瞬間』。普通のラブソングならまず歌わない。歌うとしても「死ぬまで愛して欲しい」とか「死んでも一緒だよ」とか、どこか浮ついたのろけ話になりがちなのだが、『Forevermore』は今にも死が迫っているかのような切迫感が漲っている。確かに、違う。ただ、もし『さいごの瞬間』が「最期の瞬間」という表記なら決定的だったのだが、歌詞サイトに掲載されたのは「最期」ではなく「最後」だった。死とまでは限定しなかった、と言っておくべきかな。
その切迫感の由来を探るにはまず「ごめん、愛してる」の結末をみる必要があった。歌詞がどこまでドラマの世界を取り込んでいるか。そして、誰の目線からの歌なのか。複数の目線も有り得る中、劇中で"タイトル・コール"である「ごめん、愛してる」を呟いたのは長瀬くん演じる律であった。そして「生まれ変わってもまた親子で」発言も律だ。「愛してる」と「生まれ変わり」の2つが彼の口から出たのなら、『Forevermore』は律目線がメインだったと考えられる。
これはもう本命で、前週も『大通りを避けて』裏路地に入って倒れていたし、やはりそうだったんだな、という感想だ。
そうすると、この歌に死への切迫感が漲っているのはヒカルが律目線で歌詞を書いたから、というのが妥当なようにみえてくる。
しかし、勿論それで結論はい終わり、という訳にはいかない。『Forevermore』の歌詞は『私』から『あなた』へ、という"女性目線"で書かれているからだ。
《性別を弄くる》というのは宇多田ヒカルの十八番、真骨頂だ。目線の性転換というべきか、あっさり「僕」「私」「君」「あなた」をひっくり返してくる。更に一曲の中で異なる性別の目線から歌詞を書くからさぁ大変。更にそれを日本語と英語で書き分けたのが『光』&『Simple And Clean』で、全部の歌詞を概観した後だと「結局ヒカルはどこに居たんだろう?」という疑問が湧いてくる。本当に困った"特技:惑わすこと"な女子だ。マゾヒストにはタマリマセンのですが。まぁそれはさておき。
『Forevermore』でも「もしかして1番と2番で私とあなたが入れ替わってる!?」みたいな事を考えてしまうが、なぜか今回「それはない」気がしている。まず律目線で歌詞を書いて性別を入れ換える。それ以上の事をしていない、そう仮定してここからも歌詞を読み解いていこう。
ががが、がしかし。昨年から「プロモーションを途切れさせない」のが梶さんの手法。「『人魚』のタイアップが終わったらどうなるんだろ?」と思っていたのが嘘のように移籍だコラボだ新曲だと暇(いとま)がなかった。今もたもたしてたらきっとすぐに新曲の発表になってしまうだろう。気をつけながら今までの曲の詞の話をしていくとしましょうかね、えぇ。