無意識日記々

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狙って打ったから外れれるのです

新人さんがまたコメントをくれていて、これまた相変わらず的外れな内容だ。時々この人って実は滅茶苦茶頭が良くて俺の方が試されてるんじゃないかって気がするんだけどそんなの気にしてても仕方がないな。あ、紹介してくれたあいみょん、「君はロックを聴かない」ってタイトルの歌が印象に残りました。

毎度言っているように、作品・商品として世の中にリリースした歌詞の解釈は常に受け手・買い手の自由であってそこに正解・不正解は存在しない。それを言うのは野暮ってものだ。画廊で犬の絵をみつけて気に入って買ったのならそれは犬の絵である。あとから画家が「わたし猫のつもりで描いたんですけど」と言われても聞く耳持たなくてもよろしい。

ただ、一方で「作詞者が詞を書いた時の心づもり」は当然存在する。「これを書いた時の心境を述べよ」って国語の問題だな。教科書に自著からの引用が載った檀一雄は、娘の檀ふみが学校の宿題で「この時の作者の心境を述べよ」という問題を解く際に「ねぇお父さんこの時何考えてたの?」と直接訊かれて「…〆切。」と答えたらしい。まぁ文豪を親に持つ人の鉄板エピソードですね。それはさておき。

ヒカルが歌詞を書いた時にも「こういうつもりで書いた」というのは存在する。で、それに照らし合わせた時に「Forevermoreは息子さんのことでしょ/あなたの名をつぶやきかけたで、書いた名前は息子さんの名前だと思ってた」という指摘は的外れだと私は思う。何故なら、『あなたの名を呟きかけた』の時にミュージック・ビデオのヒカルは、空中に書いた名前(らしき何か)を"力強く"打ち消すからだ。後悔を拭うようなその仕草を息子の名前に対して行ったとは幾らなんでも考えづらい。ヒカルが「こんな名前にしなきゃよかった」とか「こんな子生むんじゃなかった」とか思うだろうか? ないよな。勿論名を呼ぶのを躊躇う理由はどこにもない。なので、『Forevermore』の『あなた』が息子である可能性は非常に低い。

しかし。"的外れ"というのは何かといえば「的を狙って打ったけど外れた」矢の事であり、的を狙わずに放たれた矢やそもそも放たれていない矢に較べればずっと的に近い場所に在る。結構惜しい所を掠っているように思うのだ。

例えば。ヒカルがツイートする時に間違えて自分の息子の本名をタイプしてしまった。あぁやばいやばい、危ないところだった、とヒヤリハットなヒカルは息子の名をここで念入りに消すだろう。『Forevermore』の歌詞の『あなた』が最終的には息子のことでなくとも、単なるフレーズとして『あなたの名を呟きかけた』という一節がそういったエピソードから生まれた可能性も考えなくてはなるまい。

歌詞というのは、語呂のいいフレーズを生み出すのと筋の通ったストーリーを紡ぐのの両方が求められる。したがって、まずは語呂のいいフレーズを歌詞メモ帳にストックするだけストックしておく、という行程が生じてくる。あとからそういったフレーズを繋ぎ合わせて新しいストーリーを作るのが作詞家の仕事だ。

もしかしたらヒカルも『あなたの名を呟きかけた』という名調子が先にノートにストックしてあって、それが今回日の目を見たのかもしれない、とそう考えてもいいのである。どうでしょう。


そしてもうひとつ、「もっと重要な的」の話もあったのけれど長くなってしまったのでその話はまたの機会という事で宜しく。