無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

一切の手心無しに

『あなた』については特にエンディングのアレンジを取り上げて絶賛したが、他にも特筆すべき点は幾つもある。相変わらず他では聴けないハイクォリティーを維持しているが、それでも私は当初からの通りに「中途半端」で「物足りない」と言い続けよう。そうしないと立ち行かない。

そもそも、今の宇多田ヒカルは別次元・異次元の存在だ。有り体に言ってしまえば、『Fantome』に『桜流し』と『真夏の通り雨』という化け物じみた、いやもう化け物そのものに近づいた楽曲2曲を収録した時点でもう後戻りは出来ないのだ。評価のハードルを下げる必要は最早無いのである。

勿論、論理的には「これがピーク」という可能性もある。人間には、少なくとも、日本人女子にはここらへんが限界なのだろうと"見限る"事も出来るだろう。しかし私はそれをしない。過去19年の記憶が「そちらに賭けるのは愚かではないか」と問い掛ける。寧ろ誰しもそうではないか。

その2曲以外にも『Fantome』には特別な瞬間が幾つもある。『道』の高揚感、『俺の彼女』のドラマツルギー、『花束を君に』の美意識、『二時間だけねバカンス』の…と挙げればキリがない事はもうこの日記でも散々書いてきた(書ききったとは思っていないが)。しかしそれでも『Fantome』が「宇多田ヒカルの最高傑作」であるという気分にはなれないのである。それは過去の作品との比較もあるかもしれないが、それ以上に、ここから広がる期待が果てしなく大きいからだ。「日本語の歌でここまでできるのか」という驚きが私を、我々を貪欲にさせる。「ここから先の世界をもっと観てみたい」と。

だから私は中途半端だとか物足りないとか遠慮なく言う。皆も言えばいい。『大空で抱きしめて』には爽快なカタルシスが足りない、『Forevermore』は爆発力不足だ、と。子を育てながら「もう二度とこんな作品は作れない」とまで自らに言わしめるアルバムを完成させた人に不服を垂れるとは人でなしにも程があるが、ここまできたらとことんだ。今までどれだけの限界を突破してきたか。正直、『DEEP RIVER』を聴いた時これがヒカルの最高傑作だと思った。が、あの『ULTRA BLUE』のスケール感が「そんなのはこどもの世界の話よ」と教えてくれた。「いやはや参った。まだクォリティーが上がるとは。しかし高みに上がり過ぎて大衆はついてこれないのでは?」と一瞬訝ったら『ぼくはくま』でこどもらを虜にし『Flavor Of Life』でダウンロードの世界記録を一旦打ち立てた。クォリティーは上がるわ売上は復活以上のレベルに達するわ何が何だかよくわからなかった…みたいなストーリーを19年間延々見せつけられてきたのだ。それはもうこちらの期待
のハードルも走り高飛びのバーなみの高さになるよ。そのうち気がついたら棒高飛び並みになっているに違いない。もうなってるかも。


斯様に私はもう何の遠慮もなく究極の贅沢モードでヒカルのクリエイティブを批判している。多分、ずっとこのまま行くんじゃないか? 更に強化される事はあっても緩める事はもうないかもしれない。当然、人間だから調子の斑はあるだろう。2,3作迷いを感じさせたりするのも楽しみな回り道だくらいには受け止めよう。しかし全体的には、一切の手心無しに思った事を口にしていこうと思う。それが、全身全霊を繰り返して前人未踏の境地を独り拓き歩み続ける宇多田ヒカルへの礼儀ってもんだろう。