無意識日記々

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「集中」に必要な事


急にふと書きたくなったので。


私、長い間、「集中する」というのは「自分を強いる」事だと思い込んでた節があって。いろんなことに目移りするのを制御して、文字通り目の前の一点に集中する力が集中力なのだと思ってた。だから、自分をひとつの状態に縛り付ける、ひとつのことに強いる事を言うのだから、集中するのは疲れる事なのだと。


でも、それだけだと本質的な所まで辿り着けてないのよね。「集中」が何故大事なのかって、「自分の内面で思ってる事」と「外の世界で起こってる事」がなるべくイコールな状態にしたいからなのよ。イメージと現実が対応してる事がポイント。例えば「こういう絵を描きたい」という内面のイメージと「外の世界でのペン先の動き」がちゃんと対応し続けてくれていること。これが大事。「ドレミ〜♪と歌いたい」というイメージと「実際に自分の喉から出てる音程」が同じになってるかどうか。そこ。


だとすると、「あらゆる場面」で自分を「強いる」必要は必ずしも無いんじゃないかなと。もし自分に特に何も強制していない状態が、その時の環境と(奇跡的にも)調和しているのであれば、別に自分にあらためて何かを強いなくてもよい筈なのよ。沈黙を守る必要のある場面に居合わせたとして、お喋りな人は確かに自分を律して口を閉ざさないといけないけど、元々無口な人はただ普段通りに振る舞ってればいいだけなので何を強いる必要も無く、よってストレスも別に生まれない。余計に疲れる事もない。お喋りな人が黙ってられる時間は限られてるけど、無口な人が黙ってるのは永遠にでだって続けられるのだ。


つまり、人が「集中する」為には、自分を一つの状態に縛り付ける方法を必ず取る必要があるわけじゃなく、自分のナチュラルモードとその時の周囲の環境が(奇跡的にも)一致してるなら、ただ普通にしてればよくって、その場合は集中した状態が長時間継続する事になる。まぁかなり議論を極端に単純化してるけど、無理強いするより居心地良く作業した方が長続きするよねっていうなんてことない話ですよ。


なので、何かに集中する為には、自分のことをよく知って、「自分ができるだけ何もしなくてもよく馴染める環境」を予め選ぶのが大事なのよね。「そもそもそれお前がやること?」ってところから検討しなくっちゃなのだわ。



SFツアーのヒカルさんをみて「いままででいちばん楽しそう」と思った人多数。ファン以外からもそう思われてる。確かに、昔のヒカルさんは歌う時にどこか苦しげで、頑張れヒカル!!って応援したくなる人だった。普段は制作の現場の人なので、人前に出て歌うモードになる為には自分をそのモードに強いる必要があったのかもしれない。


でも、デビュー当時のヒカルって、特にオフっぽい場面では隙あらば歌ってたりしてたんだよね。メイキングとか、SMAP×SMAPのリラックスした席とか? 案外…でもないけど、リラックスしてナチュラルな時は結構楽しそうに歌ってたのよ。後年はなかなかそういう場面には出会さなくなってきてたけど。


今回、SF映像をみていて、ヒカルさんの表情が時にデビュー当時の頃を思い出させるものになってるのも、そういう「ナチュラルに楽しく歌を口ずさむ」ようなモードに、ステージの上でもなれるようになってきたのもあったのかな?と思ったりもしましたよ。あんな精度の高い歌をずっと維持するのは大変だな、凄い集中力が要るなぁと漠然と捉えてたんだけど、ヒカルさんはステージの上で頑張ってたというよりは、そこに至る前の段階で、自分が楽しくステージで歌える状態にまで自分と環境を作り上げていけてたのかもしれないな。だからこその過去最高のクォリティのパフォーマンスを見せてくれたのかも。ま、わかんないけどね。