無意識日記々

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プリンの口になってる人をどうするか?


先週ちらっと書いた通り、今回の写真集群リリースはかなりチャレンジングな企画だ。なのでここから発売日までは


「如何に適切な期待を購入予定者に抱かせられるか」


が課題になっていくと思う。



普段の宇多田ヒカルの新曲の発売ならそんなことは気にしなくていい。ブランドとしては史上最高クラスに予想を裏切り期待に応える音楽家としての名声を確立しているし、タイアップとの相乗効果も大鉄板と認知されている。特にどうという期待を煽ることをしなくても皆しっかりと注目してくれるし、期待の仕方も慣れたものだ。もちろんだからこそ、徹底してリリース自体を周知していかないといけないのだけど。


写真集群は違う。宇多田ヒカルが書籍として独立した写真集を発売するのはこれが初めて。更に同時に9冊も。それらが総て異なるアーティストによってプロデュースされる。何もかもが前代未聞なのだ。


よってファンやリスナーは…というか、購入予定者は何を期待すればいいか知らない。わからない。前例がないのだから。そこをどうイントロデュースするかでまるで評価が変わってくるだろう。たとえ写真集自体に何の変化もなかったとしても。


人の期待は恐ろしい。どれだけ美味しい卵豆腐を丹精込めて作り上げたとしても、食卓に出した瞬間に横から「どうぞ、プリンです。」と一言添えるだけで「何これ変な味!?」とクソマズ認定されてしまうのが現実なのだ。プリンですと言われてプリンへの期待が醸造されたら、もうプリンが口に入ってこないとどんな美味も正当な評価はなされない。しかし、それに文句を言うわけにはいかない。


今の「ナイン・ストーリーズ」の状況は、用意された卵豆腐に対して購入予定者たちが高野豆腐や杏仁豆腐やプリンやエクレアやチーズやオムレツやなんやかんやをそれぞれ勝手に別々に期待しているようなものだ。「宇多田ヒカルの写真集」という売り文句に対して抱く夢や希望、そして期待とはどのようなものなのか。コンセンサスなどどこにもない。


事前に目安になりそうなものは今の所2つ。


・SF円盤に付属していたブックレットの写真

・ツイートやCDショップで見れた写真


前者については、自分含め「アーティスト性より宇多田ヒカル自身にフォーカスして欲しかった」と不満を持つ人も居た。もちろん、気に入った人も居ただろう。なので、賛否や是非は兎も角、これについての評価は目下幾らかは下されていて今後の参考になるだろう。


後者については難しい。何故なら、それらの写真を撮った撮影者の方々が今回の9人に含まれていなかったりするからだ。それでは流石に事前の評価基準、期待の目安にするわけにはいかない。


しかし、かなり多くの人が後者を基準にしてくる事は否めなそうでな。CDショップでの写真展示も、当初は一週間ほどとアナウンスされていたが、各店舗の判断によって2週間3週間と飾られていたケースもあったようだ。そうなってくると単純接触効果、宇多田ヒカルの写真集もきっとあんな写真が満載なのだろうと見積もられてしまう事が結構ありそうなんだよけ。ううむ、それらを「あなたの勝手な勘違い」とは、私はなかなか言えそうにない。



という現況では、残り9週間、どうやって新たな期待を作り上げていくかホントに難しい。それこそ1週間ずつ各写真家の皆さんの過去作を特集して紹介するとか? いやそもそも、


「9冊をどう売りたいか」


が大事なのよね。それぞれの購入者が各々の好みに沿った一冊を見つけられればそれでよいのか、それとも9冊総てを概観することで「アーティスト宇多田ヒカル」が浮かび上がってくる構成になっているのか。その場合は全部買えって事になるが。クリティカルに言えば、9冊総ての総合プロデューサーは誰であって、その人の表現したいコンセプトは何なのかを、発売前に予めある程度示唆しておいてくれた方がお互い幸せになれるのではないかということなのだ。


いちばんいいのはヒカル自身がそれぞれの写真集の見所を解説してくれる事なのだが、自らが被写体になっている作品を「美しい!素晴らしい!」と忌憚なく大絶賛出来る性格の人かというと否だ。今でも二言目には「恥ずかしい」って口にするもんね。そこのジレンマをどう解決してくるかが今後のプロモーションの注目点になると思うので、そこの動きにまずは期待していきたい。



私としては『One Last Kiss』のミュージック・ビデオのコンセプトをスチル写真に落とし込んでくれるのがいちばん嬉しいのだけど、そういう作品、今回はあるのかなぁ。あったらいいな。どうなってるんだろな。