あたしゃ写真家さんのメンタリティというのがサッパリわからないので自分の気持ちに正直に書いてしまうと、目の前に宇宙最高の被写体が居るのにその魅力を引き出す方向に行かず、自分の作風の為の素材として消費したくなったりするものなのだろうか? そこが結構疑問でね。
プロフェッショナリズム/職業意識としては、作品はまず高品質であるべきだ。そして、商業的であるなら、どう需要に応えるか。買いたいと一人でも多くの人に思って貰える事をどこまで重視するのか。それとも芸術性を重視する?
どうにもヒカルが関わると感覚が麻痺してしまうのだが、
Q:「アーティストとして自分が作りたい曲を作りたいですか?みんなに共感されたい曲を作りたいですか?」
という質問に対して
A:『それを両立させるのがプロなんじゃねーかな。』
とあっさりヒカルパイセンが言えてしまうのは、宇多田ヒカルの作曲能力が異次元レベルに凄まじいからであって、普通は「作りたい曲」と「共感される曲」は相容れないものなのだ。こちらを立てればあちらが立たずなトレードオフの関係。作りたい曲を作ればあまり共感されず、共感される曲を書いたら「俺の作りたかったのはこんなものじゃない」と心理的葛藤に苛まれる。それが人間の悲哀というものよ。「作りたい曲を作ったらメチャメチャ共感されて大ヒット!」だなんて夢のまた夢なのである。宇多田ヒカルは毎曲そうしてるからおかしいんですよ、えぇ。だから今まで恐ろしい特大ヒット曲を何曲も持ってるんだけどね。
なので、9人の写真家の皆さんにその異様な両立を求めるのは「常識外れ」「欲張り過ぎ」だというのが普通の感覚なのだけれど、でも今回はその異次元レベルの御仁が主役だからね、
「宇多田ヒカルの身柄と名前を使わせてもらうからには高次元の要求に応えるべき!」
という主張もあながち間違いではないともいえる。大谷翔平をイースタンリーグの試合に起用してたら「早よ大リーグ行けや」って言われるもんね。宇多田ヒカルを起用する以上、相応しいステージってもんがあるのよ。(知名度があるからって大谷くんに度々登場して貰ってるけど、野球観てない人には全く通じないから他の喩えも開拓してかないとなー)
しかるに。出来れば今回の写真集は、
「9人の写真家の皆さんが撮りたい作品を撮って、その上みんなに共感される。」
という結果になってくれたらいいなと、取り敢えずは夢想している。うーん、別にそれが実現してなくてもいい。そういうコンセプトを目指して作られてたらいいなと、それくらいのテンションかもしれないわ。
そうね。どうせ夢想するなら、最良の結果を想像しておこうか。できうることなら、今まで誰も気づかなかった、ヒカル自身もダヌくんでさえも知らなかった、新たな宇多田ヒカルの魅力に初めて光を当てるアートとアーティストが現れたら、最大の成功と言えるのかもしれないわ。Hikkiがこんな表情をしてたなんて!気がついてなかった!また一目惚れしちゃった!!って言わされる作品が一点でもあったなら、15000円払う価値もあるというものです。
案外、そういう一点があったら、他の作品がそれぞれに好き放題していたとしても、全体として好意的にみることが出来たりするのよね、音楽で言えば、及第点の曲が隙間なく12曲敷き詰められたアルバムより、1曲目と最後の曲だけ歴史的名曲であと10曲はダメダメなアルバムの方が名盤て言われがち、みたいなことさね。評価なんてそんなものなので、果たして今回の9冊がどんなバランスなのか、みものですわ。もうあと9週間で発売ですよ。