無意識日記々

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なぜこんなに写真集を警戒するのか?についてのお話


自分としては写真集の作風に敏感になるのは明確な理由がある。そるは、ヒカルのデビュー当時、ヴィジュアル演出面での弊害が大きかったからなのだ。


「オートマPVがもっと可愛く撮れてたら

 もっと早くファンになれてたかもなのに!」


という恨みが未だに消えない。これだけの素材をよくぞここまでこんな風に撮れたもんだなと。


実際、同PVのメイキングを観てみても

https://youtu.be/BNkXCkHcAR0

それ以降と変わらない普段の愛くるしい宇多田ヒカル15歳の姿が見て取れる。だのになぜかフレームに収まるとああなってしまっていたのだ。撮影者の皆様は一体ヒカルに対してどんな見方をしていたのやら!?


そうなのよ、今からだと考えられないかもしれないけれど、宇多田ヒカルの視覚面での魅力のアピールは(その歌声の魅力に比して)全くもって遅れていたのだデビュー当時は。PVがまともになったのは第3弾の『First Love』くらいからだし、シングル盤のジャケットも5枚目の『Wait & See 〜リスク〜』に至ってやっと豊かな表情を写真に収めるようになってくれてたのだ。(なので「なんで次はゴリラやねん??」ともなりましたが(笑)) だから、キリヤンがやってきてやっと写真でも映像でも「魅力全開!」な宇多田ヒカルが撮られるようになった。そこまで3年近くかかったからね!?


そんな昔の経緯を知る身にとっては、「宇多田ヒカルの本来の魅力が全然活かされていない写真集」がリリースされてしまう危惧というのは全く現実的なものなのだ。その作風に警戒心を抱いてしまうのも致し方なかろうてと自分で思う。もしその写真の被写体が宇多田ヒカルでなくてもいいものなら宇多田ヒカルの名前で出して欲しくない。詐欺じゃんね。自分の名前の方を大きくして発売して欲しい。


実際、この日記では事あるごとにミュージック・ビデオの最高傑作は『One Last Kiss』MVだと言ってきているが、逆に言えば、デビューから23年経つまでこういう作品は制作されなかった訳なのよ。ヒカルに直に会ったら「いやこの人でデートムービー撮るでしょ?」ってすぐならなかったんですよ。遊園地で楽しんでる姿を撮ろうって、20年以上誰も言い出さなかったんですよ恐ろしい事に。いや別に水族館でも動物園でもどこでもいいんだけども。あと水着姿を撮ろうって言い出した人は5年目くらいに居たんだけど、これまた残念ながらヒカルの魅力がどこにあるかわかってない人たちが手掛けたものだったので的外れなPVになってました。そんなんばっかだったんだ当初は。


いやはや、愚痴が続くな!(笑)


写真集への警戒心にはこういった背景があるということを、制作側/販売側にまずわかってもらいたい。それが今回言いたかったこと!


別に今に始まったことじゃないんですよ。初手から裏切られて(と言うのかなこれは?)来ているので、どうしたって「いいものにしてね?」という圧をかけたくなってしまうんですよ。サンプル数1:私ですけれども。


『Goodbye Happiness』PVを観るに、ヒカル自身が自分の魅力的な撮り方をよくよく心得ているので、下手な写真家や映像作家に撮ってもらうくらいなら自撮りの方がずっといいだろうし(ライブフォトでそれは無理だけどね︎)、何なら現在なら一人息子への優しい視線を彼に撮ってもらうという反則技まであるのだ(これまた以下略)。かなり安易で安直なオプションが目の前にあるのに、そこを敢えて一流の写真家たちを呼んでカタチにしようというのだから、それ相応のものをみせてくれないと、ヒカルの恥ずかしがり屋体質を慮ると今後また有ってくれるかどうかわからないこの「宇多田ヒカル写真集発売」という千載一遇の大好機をみすみす逃す羽目になりかねなくて、そりゃ貴方心配と不安に苛まれもするのですよ。ゆめゆめ、そのあたりのことをお忘れなきよう釘を刺しておきたい所存でありますっ。