震災から30年か。
…という一言でいやまだ13年経ったとこでしょと思う人は東日本の人だしまだ1年じゃんと思うのは能登の方の人。他にも…と延々続いていくけど、いずれにせよそれぞれに温度感はバラバラなんだろうな。実感や経験、関心を伴うか否かで評価は全く変わるし、それが本来の多様性のはずだったりもする。
まぁ難しい話は置いといて。
今回のライブ・クロニクルズとイン・シネマで、それぞれのファンとリスナーが思い入れのあるコンサートについて想いを新たにしたことだろう。私のように「『Utada In The Flesh 2010』はないの?」と思った人間も含めて、ね。そして、ヒカル自身もまた、それぞれの時間にそれぞれの思い入れがあるはずなのだ。
「あの時はこんなことを感じていたな」というのは、当人にしか知り得ない。ウタユナの時に喉の状態が手術寸前だったという話はツアーが終わった後のインタビューで聞かされたし、真っ只中においては手術の二文字を語るファンも居なかった。喉の不調はあってもステージに上がっていたのだからね。それくらい、真の心境と状況は当事者でないとわからないものなのだ。
喉の手術といえば、藤圭子様が後年どこまでも自身の喉にメスを入れた事を後悔していたと後程知り、これはヒカルも手術寸前≒引退寸前だったかもしれないのかと思い直して愕然としたり。物事の価値はそう容易に測れるものではないのだなと。
「時効」という考え方が有効かどうかはわからないが、これからデビュー50周年に向けて動き出す中で、いずれかの時点で「あの時実はこうだった」という話をまとめてみるのも面白いかもしれないなと、映画館でスタッフロールを眺めながら思った。それこそ、ウタユナの時の不調の真の原因や理由は何だったのかとか、そういう話をね。勿論、中には墓場にまで持ってかなきゃならない話もあるだろうしそういうのは置いておくとしても、『時間が経てばわかる』というのをひとつひとつ成し遂げていくのはデビュー曲が『time will tell』だった人の使命であるとすら言える。
とはいうものの、その当のヒカル自身が、生きていく中でその時々のエピソードの価値を違えて捉えていく過程の真っ最中に在るとも言え、そんな企画をやるとしてもそれは現役引退後になるのが適切かなとも思い直せば、永遠にそんな機会は訪れてくれるなよとも言いたくなる。困った顧客ですね私も。モンスター・カスタマーなのかな。まぁたまには、過去のそういった裏話も聞かせてくださいね、ヒカルパイセン。