本日、更にもう一本Instagramに投稿があった。
『@kuma_power
Thank you Sacai🖤
It was fascinating that the show floor was divided by a wall into mirroring spaces and we could see models disappear and emerge from these holes… the audience became the observer in Shrodinger’s cat and we also observed one another, so funny🐈 or like babies when adults play peek a boo to them. It made me think a lot about object permanence.
Sacaiの皆さんありがとうございました🖤
壁で隔てられた二つの空間を行き来するモデルさんたちが眩しい光の中に消滅したり出現するのを観てるっていう、お客さんたちがみんなシュローディンガーの猫の観測者になってるような状況がシュールで面白かった その私たちも観察されてお互いの動画に映り込んで🐈 あと「いないいないばあ」されてる赤ちゃんの頃の気持ち思い出して対象の永続性について考えさせられた』
https://www.instagram.com/p/DUDNUgjjLYW/
前半に英文があるが、ほぼ後半の文章と同じ内容だ。念の為Google先生の翻訳も載せとこう。
「展示会場が壁で鏡張りの空間に仕切られていて、そこからモデルたちが消えたり現れたりする様子が魅力的でした…観客はシュレーディンガーの猫の観察者となり、私たちもお互いを観察し合っていました。とても面白かったです🐈。まるで大人がいないいないばあをする赤ちゃんのようでした。物体の永続性について深く考えさせられました。」
ご覧の通り、オーストリアの理論物理学者Elvin Schrödingerの日本での表記は「エルヴィン・シュレーディンガー」だ。ヒカルさんはなぜか『シュローディンガー』と書いているが、発音上は間違いでもない。öの発音は「エとオの中間」だからね。レでもロでもいいだろう。寧ろ原文でウムラウト(”o”の上にある点2つ)を省略したのの方がまずいような。iPhoneのQwertyキーボードなら「o」を長押ししたら「ö」が出てくるのにね。私それで毎回『Fantôme』って打ってるのよ!?こっちはウムラウトじゃなくてサーカムフレックスってやつだけどね?それはさておき。
これ、多分ヒカルさんが普段量子力学について学ぶ時に読む本が基本的に英語圏のものだということなのだろう。日本語で「エルヴィン・シュレーディンガー」の表記に出会う機会がないんじゃない? 知らんけど!
で。こちらとしては本来の思考実験の「シュレーディンガーの猫」から離れ過ぎた比喩には結構うんざりしている。世の中に溢れ返ってるからね。どれくらいうんざりしてるかといえば、2026年の今「宇多田ヒカルってタメ口だね?」と言われるくらいの感覚なのだ…オールド・ファンなら私がどれくらい飽き飽きしてるかよくわかってくれるかと思う(笑)。今更過ぎだよね。
2つの部屋の間に開けた穴を行き来するので連想するなら、シュレーディンガーの猫よりまだマクスウェルの悪魔の方がマシだろう…ってこの悪魔は退治されたんだったか。時代は巡るな。
という感じなので「お客さんたちがみんなシュローディンガーの猫の観測者になってるような状況」が何を言ってるのかは私もよくわからない。ヒカルさん、もしや二重スリット実験なんかと勘違いしてるのでは?? 光子があっちに着弾したならこっちには着弾しなかったとか、そういう話なんじゃないの?
「シュレーディンガーの猫」は「誰かが見るまで猫が生きてるか死んでるか決まらない」っていう「だるまさんがころんだ」っぽいヤツなので、「いないいないばあ」ではあるんだけど、今回のsacaiのショーのセッティングとは結びつかない気がするぜ。
あと、「私たちも観察されてお互いの動画に映り込んで🐈」ってのはニーチェの「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いてる」を思い出させるわね。これも猫じゃない気がするんだが。動物園の動物たちから見たら人間の方が見物されてるとか?『Too Proud』? まぁサファリパークは実際そうだよね自由なのは動物たちの方っていう。それとも違うか。
というわけで、珍しくよくわからない文章を書いたヒカルさんなんだけど、最後のまとめはいいやね。
『あと「いないいないばあ」されてる赤ちゃんの頃の気持ち思い出して対象の永続性について考えさせられた』
これなぁ。赤ちゃんの頃の気持ちをヒカルさんは覚えてるのか、それともダヌくんの赤ちゃんの頃を思い出してるのかはわからないけれど「対象の存在の永続性について考えさせられた」って感想を持ってもらえたのはショーの演出者からしたら嬉しいだろうな。裏を返せばラッセルの「5分前仮説」になる。5分前に「今ある世界のすべてがいきなり生まれた」と仮定しても反論できないってやつね。それくらい、存在や実在というのは危うい何かなんだっていう。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E4%BA%94%E5%88%86%E5%89%8D%E4%BB%AE%E8%AA%AC
赤子は本来のその存在の不安定さをよく知っている。世界についてまだ何も知らぬが故に。だから「いないいないばあ」で存在が明滅したとしても、常識がないから「どうせ隠れただけでしょ?」とスレッカラシになることもなく「現れた!」「消えた!」とその度ごとに驚けるのだ。確かに量子力学は、真空が粒子と反粒子の対を生成すると教えてくれるのだけど、真空って「何もない空間」のことじゃないの!?え、空間があるじゃんって? その通りですね…。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%A9%BA%E5%81%8F%E6%A5%B5
量子力学は規格化を根っこから仮定してるので、存在は「あるものとして」扱うのが基本だ。つまり、「本当にあるかないか」については語る気がない学問なのだ。「もし仮にあるとしたらこんなことが起こるよ」ということは雄弁に語ってくれるのだけどね。そこの“不備”を突くつもりでヒカルがシュレーディンガーの猫を持ち出してきたのだとしたら、なかなかに鋭い。うんざりさせられる比喩の中にも、宝石は紛れ込んでるのかもしれないっjことだな。また『Electricity』みたいに歌詞世界に活かしてくれる日を楽しみにしてるぜっ。