無意識日記々

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普通の年!

あ、もう今年を総括する時期ですか? 毎年通り「無意識日記は毎日総括してるから年末だからといって特に何もないな」とかなんとか言いながらなんだかんだで今年を振り返ってみますかね(笑)。


今年2018年は宇多田ヒカルファンにとって「普通の年」でした。これに尽きる。だって応援するミュージシャンが新曲を出して新譜をリリースし雑誌に載りラジオ番組を提供しテレビ出演をしてライブコンサートツアーをする。どれをとっても至って普通、当たり前の事しかしていない。顔認証だのPSVRだのというのは目新しいかもしれないが、何れもヒカルは出て来て歌っただけだしな。そういう意味で、何も取り立てて言うことも無い、ごくありふれた1年だったということだ。

ところが皆さん御存知の通りこの「普通の1年」が凄く久々だったのが普通でないところで。2年前は新譜は出たけれどツアーをしなかったし、8年前のはオリジナルアルバムとは言い切れなかったしライブもツアーじゃなかったし。9年前はやってる事は普通だったけど主に場所が海外じゃあ宇多田ヒカルファンには遠かったから普通じゃなかったし。10年前は新譜は出ててもライブはなかったし11年前はシングルリリースしかしてないし、ということでこういう「至って普通の1年」というのは我々にとって、そう、12年ぶりということだったのだ。干支一回り分、オリンピック3つ分ですよ。8歳のあどけない幼女が成人して大人の女性になってなんだったらお母さんになってるくらいの年月「普通の年」がなかったのだ。極めて普通じゃなかったよね。

だから今の宇多田ヒカルは、漸く他のミュージシャンのみんなと対等に語られるところまで来た、というのに過ぎないんですよ。新譜出してメディア出演してコンサートツアーを催すなんてプロのミュージシャンたちはみんなやってる事なんだからそれを「音楽は稼業」と言い切る音楽家が自慢できるかっつったらねぇ? しないでしょ普通。傘屋さんが「どう?俺傘売ってんだよ!今年一日も病休とかなかった!」って言われても「それはよかったですね(笑)。」くらいの反応しかせんだろ。ヒカルもそれくらいなんだよ。

で。これでやっと「正当な評価」が齎される。それでもまだ今年は「8年ぶり」「20周年」で下駄を履かされた評価しか受けていない、とも言えた。そこから、新譜もツアーもいつものことになってプレミア感が無くなって初めて本来の仕事自体のクォリティの評価が自然体で為されるってもんなのだ。今年までは長期休業明けのご祝儀相場。来年以降も今年同様の極々普通の活動を継続してこそヒカルの真価がみんなに理解されていく、ハズだ。それが楽しみになった1年だったということで今年の総括に代えさせてうただこうかしらん。あ、夜も更新しますよー。

宇宙の存在理由2018

OKAMOTO'Sの中の人がライブレポを寄せてくれている。たいへん好意的で嬉しくなる内容だ。まぁ好意的でないライブレポを公式が紹介することはないと思うが。

中の人はヒカルの事を「奇跡」だと言う。書き方からして「少々大袈裟かもしれないが」という一言を飲み込んだ感じはあるが、私から言わせればヒカルを奇跡だなんて在り来たりなものと一緒にしないで欲しいというのが本音である。表現が陳腐という意味ではない。奇跡みたいな頻度の高いものと一緒にしないで欲しい、という意味だ。

例えば、今地球上には75億人の人が住んでいるらしいが、それだけ人が居れば誰もが奇跡だと呼ぶような出来事はきっと毎年ひとつやふたつ起こっているだろう。サイコロを6つ1度に振ったら全部1の目が出た、程度でも奇跡だとかいわれそうだし。もっと信じられない事は、この世界の広さを考えれば結構頻繁に起こっている気がする。

宇多田ヒカルはそんな毎年起こるような頻繁な頻度では出現しない。宇宙が138億年だかをかけて漸くたった一人生み出した存在なのだ。唯一無二なのも当然だ。少なくとも人類の、いや生物の歴史上「最もいい女」であることは間違いがない、でしょ? もしヒカルよりいい女がこの世に居るなら是非今すぐ紹介して欲しい。明日からこの無意識日記はその人の話ばかりになるだろう。勿論、そんなことは起こらない。ヒカルの代わりなんて居ないのだ。

138億年に一人、即ち138億光年の中にたった一人。勿論奇跡だが普通の奇跡どころの話じゃないのはおわかりだろう。

私は常々こういう風に捉えているのでヒカルのPreciousさを表現するのにいつも「宇多田ヒカルは宇宙の存在理由である。」という言っている。誰しも小さい頃は「どうしてこんなに広大な宇宙なんてものが存在するのだろうか?」と疑問に思った事が一度はあると思うが、その答えが宇多田ヒカルなのだ。あれだけ精微で精巧で…兎に角偶然と奇跡が何億と折り重なった果てに漸く宇宙が辿り着けた到達点。宇宙の物理法則も何もかもがどうしてあそこまで美しく精密に出来ているかといえばヒカルを生み出す為だったと言われれば納得がいく。138億光年の広大さの帰結。そう考えなければあんな存在が有り得るなんて有り得れないしそうでなくては何一つ理解が出来ない。宇宙と呼ばれるこれだけの大仕掛けを使って神様はやっとここまで来たんだな。頑張ったよ神様。

そうすると疑問なのはヒカルが死んだ後の世界に何か価値があるのかという点になるが、「嘗て宇多田ヒカルという存在を可能にする事が出来た世界」というだけでその残骸や残滓にも勿論価値がある。何より、ヒカルの歌が遺されているだろう。その歌を誰かが歌っている限りこの宇宙に意味がある。過去も未来も、ヒカルの居る“今”を中心に広がる宇宙の一部に過ぎないのだから。

とすると。そんなヒカルが生涯を捧げる「音楽」或いは「歌」というのは、宇宙を越える何かがあるのだろうか。そうとしか思えない。来年はそういう点も踏まえながら日記を綴っていきたいと思います。もしかしたら今回が今年最後の更新かもしれないのでこんな感じでごきげんようまたよろしくね。