無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

蜘蛛の巣の網の目の隙間

光が今環境問題に興味があるのかエネルギー問題に興味があるのか或いは両方なのかどちらもそうでもないか、訊いてみないとわからないが、そういったイシューに本腰を入れて取り組むとして、周りが黙っているだろうか? "宇多田ヒカル"がどんなアクションを起こしても、それはニュースになってしまうのではないか。

前に"海外でのボランティア"ではなく、"海外でのアルバイト"を推したのは、そういう点も気に掛かるからだ。お金が絡めば、勿論仕事によるけれど、宇多田ヒカルの名前なんか関係ない環境に身を置く事も可能だ。しかしボランティア("志願兵"だな)というと、無償での慈善活動なんかを想像してしまう。そうなれば、"宇多田ヒカル"の名を使わない手はない。というのも、そこで志願兵は純粋に"一方的に与える者"として解釈される。本人にとってみれば掛け替えのない経験や人との出会いなど得るものが多いだろうが、周囲には取り敢えず関係ない。ボランティアといっても様々な種類、私が思いもよらないようなものまであるだろうが、行動を無償で与える者というポジションに居る人間が、何かの修行や修練の為だという事を前面に押し出してくる事は歓迎されにくそうな気がする。金銭の授受があれば、そういった意図の有無とは無関係に、要求された仕事が出来るかどうかだけで判断されやすいケースが多そう
な雰囲気を感じる。

まぁ、いずれであっても一般論であり傾向の話に過ぎない。特定の取り組みたい事があり、それが本来の人間活動の主旨に即してさえいればアルバイトだろうがボランティアだろうがどうでもいい事である。

前にも一度触れた気がするが、ただ、今のネット社会で顔を晒して活動して"ジャパニーズ・フェイマス・シンガー"であることを隠し通せるだろうか。いつ顔画像検索や人声(声紋)検索が実用化され世界的に普及するかわかったものではない。この大きな看板を全く気にしないでいてくれる状況が、この地球上に有り得るだろうか。

考えれば考える程「欧州の片田舎で絵描き生活」位しか選択肢がないんじゃないかと思えてくる。どんな国の人でも、目の前の人が世界の中で一億人以上に顔と名前を知られていると知れば動揺する筈だ。それで普通に接してくれという方が酷である。

しかし、可能性はあるだろう。世界の片隅には、Lady Gagaが何食わぬ顔で道を歩ける地域がある筈である―いや例を間違えたか、今私の隣にすっぴんのLady Gagaが立ってても気付かないや。兎に角、光の望む環境は、世界は広いのだ、必ずやどこかにある筈だ。そう信じたい。

もっとも、光がヒカルの看板の有無にさほどこだわらないのであれば、もっと選択肢は広がるだろうけどね〜。