無意識日記々

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Wasted Rhyme Here

Don't Waste Your Time ! と云われても、その都度その時自分にとって「"無駄ではない"と思える」過ごし方をするしかないから、将来的には後からあんなことしてなきゃよかったと後悔する可能性もきっとある。それを今から心配しても仕方がないけれど、今や今まで自分より長い人生を送ってきた人たちの言説がやまのように転がっているのだから、ひとつひとつ参考にしていけば、少しはunwastefulなtimeが送れるのではないか。

光の場合は、然し、誰の何を参考にすればいいのか、まるでわからない。この人と同じどころか似た境遇の人も滅多に見つからない。最も似ているのは、奇しくも、なのか運命なのか、同じく若くして前人未踏の記録を打ち立てた人がいちばん身近に居た。母。

参考にするとすれば、見習うとすれば彼女なのだが、果たしてそれは適切なのか。シンプルに、光からみて彼女が"時間を無駄にしていない生き方"をしていると見做すならOKだろうし、そうでないなら反面教師だろうか。こちらからは想像もつかないような感情に苛まれる事もあるだろうし、悩みの深さも推し量れないが、光が更に成長していけば、或いは母と友達のように語り合い同じ悩みを分かち合えるようになるかもしれない。

父とは、仕事上の関係性もあるからか、互いに一人の大人として語り合える間柄になっているようにみえる。宇多田光と宇多田照實として。しかし、母とは、未だに母と娘なのだろうか。勿論永遠にこの事実は覆らないが、例えば光は母のことを冗談てでもジュンコと呼んだことがあるのだろうか。

光がこのエントリを読んだらきっと「ジュンコってカタカナで書くとジュゴンみたい」と云うに違いない。

嵐の女神は、だから、もしかしたらそういう意味での"親離れ"なのかもしれない。表面的には違うだろうが、深層としてはこの気持ちで"おかあさん"と呼ぶのはこれが最後になるのではないか。その一瞬を捉えたのがあのトラックだとすると、ナマであの歌を歌える位にその瞬間が過去の事になるには、もう暫く掛かる事だろう。



こちらからみれば、光が時間を無駄にしているようには、見えないけれどね。