無意識日記々

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古典を遂げるかコテンと転けるか

名を成せば成す程、調整の時間が与えられる。例えば室伏広治は、次のピークをロンドン五輪の競技当日にもってくればよく(と言ってもそれ自体は超絶難儀な事ではあるけれど)、それまでの一年弱の間に実力を証明する必要はない。

例えば。Weeklyジャンプシステムに乗っかった新人漫画家は、毎週15ページなり19ページなりで常時人気を獲得し続けなければならない。でなくば2ヶ月で打ち切られる。毎週盛り上がりと来週への期待感を増幅させてテンションマックスで駆け抜けないといけない。時間をかけて練り上げたもってまわった伏線の張り方など出来る訳がない。いやその両者を過去最高次元で両立させてるのがONE PIECEなんすけどね…人類史上あとは原論や聖書やクルアーンなんかの聖典の影響力くらいしか対抗できるものがない作品に今更何か言っても仕方がない。なのでそれはさておき。

もし創作意欲が維持され、毎週の最高潮を期待されなければ、丁寧な大作を作る事ができる。ヴィクトル・ユゴーの書いたレミゼラブルは、(豊島訳本の場合)最初の120ページは主人公が出てこない。しかも、その間に物語が大きく動いているかというとそんな事は全くなく、ぶっちゃけただの雑談である。そんなゆったりした時間の流し方をしておきながら、この作品はラストに至る頃には全読者の全涙腺を全壊させてみせる。長尺だからこその破壊的な感動。古典の古典たる所以がここにある。暇な学生は暇なうちに読んでおこう。

現代では、伏線の張り方にはかなりの工夫が必要だ。魔法少女まどかマギカは、21世紀初頭日本のアニメ事情という特殊な状況下において古典を完成させる為に見事な手法を用いた。序盤だけでも、後半だけでもこの作品の真の評価たりえない。あらゆる要素を勘案して、古典的な感動に人々を導いた功績は絶賛に値する。

このペースで例をあげていくとキリがないので要点だけ纏めておく。宇多田ヒカルが休めているのは、それだけの結果を残したからである。これからも、レコード会社からは最高の待遇が期待される。

よい面は、レミゼラブルのようにじっくりと作品作りや作品発表に取り組める事である。時間のかかる方法や、一定期間評価されない時期があってもよい。作品内でも作品外でも、じっくりと伏線を張れる筈である。大きな感動を醸造するにはよい環境である。

それほど前向きでない面は、まどマギのように時代と向き合い、そのジャンルに興味のあった人間もなかった人間も巻き込んでいく巧みさ、匠ぶりを作品自体や作品発表演出等に期待しにくい事である。なぜなら、もう名を成してしまったから。自分自身を証明する必要のない場面で、人の注意を惹く為の技巧や工夫を凝らそうとはしないだろう。そういう"騙されるスリル"は大御所になればなるほど味わえなくなる。虚淵さんは今後が大変なのだ。

逆に、大御所であることを利用したトリックでサプライズを起こす事も出来るかもしれない。が、それは名声を毀損するリスクが非常に大きいし、周りの人たちも巻き込む。その上サプライズは一過性のものにとどまり、作品の普遍的な魅力に貢献しない恐れが強い。

いずれにせよ大御所になればなるほど、活動には"安心"が期待される。この12年間は見事なまでにそういった安心志向をつっぱねてきたヒカルだが、人間活動を経て戻ってきた時の伝説化と期待力にも打ち勝てるか。まぁたぶん大丈夫っぽいけどね。