無意識日記々

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僥倖の行幸

妥協とは真逆に、或いは裏腹に、ヒカルにとって僥倖であっただろう点がKeep Tryin'には存在する。それは、「少年」と「情熱」が韻を踏んでいる事だ。

「しょうねん」と「じょうねつ」。前曲の主人公とタイトルの日本語訳の2つの言葉がこうも似通っている事に気がついた時のヒカルの喜びはどのようなものであっただろうか。寧ろ、この音韻からKeep Tryin'の歌詞世界は開けていったのやもしれない。そして、この2つの言葉を歌わんが為にイントロからエンディングまでを構築したのだ。

そこからどのように逆算していったのか。いや逆算かどうかもハッキリはしないが、ひとまず後追いたる我々自身の想像力に任せてみよう。

まず、「しょうねん」から「じょうねつ」へと遷移する場合、どこを最も甚だしく変化させなくてはならないかといえば、「ん」から「つ」である。その為には、「しょうねん」から始めた場合、間に「つ」を含む単語を挿入するのが手っ取り早い。メロディーは5文字の単語を要求している。それに、なにしろ「情熱」というからにはPassionの続編なので、この歌と繋がりのある単語がよい。そして、このパートでは少年の情熱の価値とその瑞々しさに焦点を当てている。なにしろ、この2曲は「ずっと」という言葉でエンディングとオープニングが繋がり合っている。そんな身も軋むような多重の条件をクリアする単語が、果たしてみつかるか。みつかったのだ。Passionでこう歌われている。

『僕らはいつまでも眠っていた』

と。

そう、『いつまでも』だ。総ての条件にこの上なく合致するこの5文字。2文字めの"つ"が「しょうねん」から「じょうねつ」への橋渡しを担う。Passionの歌詞にも出て来ていて、「ずっと」とも意味は似通っている。前曲との連関、楽曲のテーマ性、メロディーからの文字数の要請、キーワード同士を繋ぐ為の音韻、そういった頭の痛くなるようなパズルの解答として、この『いつまでも』は燦然と輝く。

この歌詞構造の緻密さ、そして唯一無二さは尋常ではない。これを「確信」と呼ぶのではないか。ありとあらゆる要請を叶えることばが、この世に存在するとはとても限れたものではない。にもかかわらずこうやって"答え"が眼前に厳然と出現しているからには、ここで作詞家はこう考える、「この歌の歌詞は最初からこうだったのだ、私はそれを見いだした。」と。歌詞は、部屋の中に、或いは頭の中に既に"在った"のである。それを漸くみつけたのだ、

「だから私は最初そんな問いを立てたのだ」――、

そう考える。私もこの歌の歌詞には散々楽しませて貰っているが、ヒカルは恐らくもっともっと楽しんだのではないか。そう考えると羨ましい。勿論、その何十倍もの"産みの苦しみ"に苛まれた挙げ句、の事ではあったろうけど。やべ、俺も作詞したくなっちゃうじゃないか。いやまぁそんな感じでまた次回。