無意識日記々

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アルファベットのいろはなに

気がついたらまるまる3週間ほぼキプトラの話で来てしまった。それじゃつまんないという感想もうただいた。ありがたいことだ。というわけで勿論今日もキプトラの話です。

タイトルがKeep TryingではなくてKeep Tryin'なのは語尾が尻下がりにならないようにというヒカルの配慮だったという話。そういやそんな事言ってたっけな。となれば何故歌詞の方は"keep trying"になっているかの理由は瞭然、ここのメロディーが悉く尻下がりだからだ。ヒカルにとっては音の並び、アクセント、イントネーションと歌詞の文字表記は大きく繋がっているようだ。

思い出すのはWINGSでスキャット(ハミングといった方がいいか…いやどっちでもいいな)の部分を「ラララらララ ラララヲウヲオ」と書いていた事。歌っているのを聞いてるだけではわからないが、歌詞カードをこうやって読むと、「『大好きな作家の本』って宮沢賢治?誰だろう?」という妄想が膨らむ。ヒカルにとってはこの歌詞のない空間が、特定の情景と結び付いているのかなと"読者"に思わせる。恐らく、音だけ聴いている人にはそれはそれで完結した風景を見せてくれているのだろうが、歌詞カードまで読む人にはもう一歩踏み込んだ所まで推察して貰おうという配慮だろう。

同じようにMaking Loveでも…と話を続けると再現がないのでキプトラに話を戻すと、ここでは英単語のカタカナとアルファベットによる書き分けがある。これは、宇多田家、もとい、歌だけ聴いていたのでは違いに気付かない。発音では区別していないからだ。

例えば『Lady, レッツゴー』はLadyはアルファベットでレッツゴーはカタカナだ。『「タイムイズマネー」』と書いておきながら次の時には『「愛情よりmoney」』とわざわざ日本語の文章でmoneyとアルファベットで書いている。同じ単語でもカタカナ表記とアルファベット表記を使い分けているのだ。そう考えれば、『ハングリー』だってアルファベットのhungryでもよかったんじゃないのとか考え始めてしまう。いったいどういう事だろう。次回はそこらへんの所を子細に分析してみたい。