無意識日記々

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一度絡まった意図はナカナカ解けない

話がややこしくなっているのでもう少し平たく行こう。要は、なんでこれだけのミュージシャンなのに光は他のミュージシャン/アーティストたちとの交流が少ないのか、という話なんだが。

孤高のアーティストたるもの群れる必要もない、とばかりに独自の世界を創り上げる訳でもなければ、ではいろんな人と仲良くコラボレーションしているかといえば大抵自分で済ませてしまいひとの手を借りるでもない、なんとも中途半端な立ち位置なのだ。

他者との共作も共演も数多ある。が、どれも続かないのだ。いや、続いているのかもしれないが印象が単発的、という事かもしれない。コンサート/バンドマスターとして2004年から起用されているマット・ローディでさえ、「仲間感」が希薄なのは何故なのか。いや仲が悪いのとは違うだろうな。寧ろ、光は誰とでも仲良くなれる。皆に好かれる人間だ。が、仕事上の関係と割り切っているのか何なのか、そこから先が感じられない。

プライベートでは長い付き合いがあったりする。Making Loveの輝きは、その背景なくしては説明できない。が、音楽的にはどのコラボレーションも単発で、その後何か進展や発展があったときかない。TAKUROとは一緒にNYで出掛けたりしていたから続きがあった方だといえるが、他のコラボレーション―大黒摩季やら椎名林檎やらカイリー・ディーンやらNeyoやらFoxy BrownやらTimbalandやら、、、全員と仲良くする必要はないが(会った事ない人も居るだろうし)、なんとなくそれっきりでそこから広がっていった感じがしない。

勿論、これは光のポリシーなのかもしれない。ただ単純に、業界内の誰ソレと普段つるんでるとかを情報として発信しないように心掛けているのかもしれない。それならそれでまぁいいや。

問題は、音楽的な側面である。U3&EMIのメンバーの結束の堅さは素晴らしいが、多分光がプライベートでも会う人って居ないんじゃないか。要は、仕事上の関係が仕事上で完結している為、そこから誰と誰が知り合いになって、みたいな展開がないのだ。唐沢寿明と朝まで飲んでた、なんて言うから役者の友達がわんさか増えるんじゃないかと期待したりしたが、う〜ん、居るんだろうけれど…どうなんだろう。

やっぱり、光は人間関係に淡泊なのだろうか。こまめに連絡を取り合ったり、贈り物をしたり食事を共にしたり…いや、別に「そうあって欲しい」と私は思ってる訳じゃないんだが、なんとなく立ち位置が把握できない分、楽曲について考察する時もなんとなく落ち着かない。

ジャンルレスなPopsを続けてきた為、どうにも同調してずっと長きにわたってお付き合いが続く関係にないのだろうか。マットローディも、LIVEの時には、という感じ。うーん、曰わく言い難いこの中途半端感。どう説明したもんかの。

それが狙い、と言われてしまえばそれまでだ。一向に定まらない音楽的立ち位置こそが持ち味。今まで散々当欄でもそう書いてきた。ユニークなのに孤高にならず親しみやすい、しかしカテゴライズも難しい。宇多田ヒカルの音楽、というよりも、その時その時の楽曲の出来で勝負してきた。その集積がこの最初の12年、"First 12 Years"なのだ…といつものとおりまとめるには、今回の一連のツイートは違和感が有りすぎるのだ。何をこんなに戸惑っているのか、自分でもわからない。

このまま今週はこうやって一向にまとまらないエントリーばかり書き上げるのかと思うとゾッとするが、よく考えたら元々そういうblogだったな。諦めた。暫くはこんな調子になりそうなので先に謝っときます。こんなんでごめんなさいm(_ _)m