無意識日記々

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応援する側される側

歌詞の傾向を12年単位で眺めてみると、やはり初期は"直中の人のリアリティ"が際立っているように思う。中期後期は他人事というと意味が違ってしまうし、結局は自身に対して歌っているようにも捉えられるがキプトラに代表されるように人を応援する歌も書いている。

『だって、つまずきながらって口で言うほどラクじゃないでしょ』(Wait&See〜リスク〜/2000)と言うのに対して『ちょっと遅刻した朝もここから頑張ろうよ』(Keep Tryin'/2006)という感じになっている。特に2001年のDistanceアルバムは、時の人となって何が何だかわからない暗中模索にあって書いた歌詞が多く、それ以降、DEEP RIVERアルバムからは少しずつ達観した内容が増えてくる。変な言い方だが、まるで自身が直中の人、時の人で居るのを拒否するかのように。

そういった歌詞の変化が、ファン離れを促進したという見方も、場合によっては出来るだろう。Flavor Of Lifeがあれだけヒットしたのも、超越的な姿ではなく等身大の歌を心掛けたからというのがあるだろうし。

しかしそれは、"心掛けなければ書けなかった"というのがあったような気がする。勿論、花より男子原作を幼少に読んでいたお陰もあってその世界の中の文脈で表現する事が大いに助けとなり、そんなに大仰に構える必要もなかったかもしれないが。

その、2007〜8年頃の光自身にとってよりリアルだったのではないかという曲調は、そのFlavor Of Lifeの続編にあたるPrisoner Of Loveの方かもしれない。これもドラマ「ラスト・フレンズ」の曲ということもあって、某かの"心掛け"によって書かれた曲調であるという見方も勿論出来るだろうし、たぶんそれで合ってる。

しかし、歌詞を読んでみると、『私を応援してくれるあなただけを』と『Don't you give up oh 見捨てない 絶対に』という、応援される立場と応援する立場の両方の感情が歌われている事に気付く。いわば冒頭で引用したリスクとキプトラの両方の側面を持ち合わせた楽曲になっている。リスクだって後半他者を励ますような感じも出てくるしキプトラだって自分自身も励ます歌なのだが、このPoLは「二人ともが対等」になっている所がひとつの到達点としての風格を齎しているように思われる。UTUBEで見る限りにおいては、Goodbye Happiness, First Loveという最近作の名曲と極初期の名曲とともに3大人気曲の一角を占めるPrisoner Of Loveには、やはり何か特別なものを感じる。この曲でどれくらいの初期ファンが戻ってきたのかなあ。それもちょっと興味があります。