無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

色即是空空即是色カラーカラカラカラカラカラー

このblogのもうひとつの特徴といえば、執筆者があんまり自分の話を書かない事だろうか。一応こうやって毎度文章を公開しているからには広範に読んで欲しいという欲はあるんだろうが、書いてある事といえば「私を見て」ではなく「宇多田光を見て」という話ばかりである。集めた視線を横に受け流して光に集めているイメージ。なんか妙。

単純に性格だろうかな、と自己分析してみる。あまり人に見られるのを好まない。それだったらWebに登場しなきゃいいんだが、出ずっぱり度は群を抜いている。目立ちたがりと思われても仕方がない。それは多分、読んでる人たちから「いつも楽しみにしています」と言われるのが大きい。週に十回更新してもそれでも「土日はないのか」と言われる。少し間があけば健康や消息を心配される。あれ、恵まれ過ぎてるんじゃないの俺?

スケールは多分これの10000倍位だろうが、もしかしたら光も似たような事を考えているのかもしれない。あれだけ自分の顔面どアップのアルバムジャケットを連発しながら自己顕示欲とかナルシシズムを感じさせないのは、元々あんまり目立ちたがらない性格だからだろう。こう解釈していいかはよくわからないが、だからあっさり"無期限アーティスト活動停止"なんて宣言できたのではないか。人から視線を集める事は特に生きていく上で必須ではない。どんか目立ちたがりだってツアー生活に疲弊すれば「暫くそっとしておいてくろ」となるものだが、大概その暫くが過ぎればまたステージに上がってスポットライトを浴びたくなる。だから"休養"なのだが、光の場合はどちらかといえば"もう1つの人生を生きてみている"感に近い。今まで右の道を歩いていたから、次は左の道を歩いてみよう、といった感じの。

もしかしたら、これは性格かもしれない。"二足の草鞋症候群"とでも名付けようか。デビュー当時は高校生で、且つプロのシンガーソングライターだった。あれだけ稼げば歌に専念してもよかっただろうに、大学に進学して且つ歌も止めなかった。で、その大学を休学したと思ったら宇多田とUtaDAの両方で活動していくという。で、そのUtaDAの契約が終了し宇多田ヒカルとして単一の世界契約を結ぶのと相前後してアーティスト活動をやめて人間活動に取り組む、という今は"アーティストと人間の間を行き来している途中"なのだろう。

この二足の草鞋症候群のルーツは何かと考えれば、やはりそれは「東京とNYの間を行ったり来たり」していた、という生活様式(というのか)なのではないか。何故か光は、常に"2つのアイデンティティ"を抱えてないと落ち着かないのだ。一カ所に落ち着いてたら落ち着かない、落ち着かないのが落ち着く、だなんてまるで色即是空空即是色、カラーからカラ・カラからカラーだが(意味わかるかな(笑))、その捉えどころのなさもまた彼女の大きな魅力の一つではあるのだろう。いやこの話自体にはオチつきませんけども。