宇多田光さんの(っていう書き出しもしかして初めてか俺!?)名前の表記について、今一度整理しておきたい。といっても当日記での使い方の話に過ぎないのだが。
御存知の通り彼女の本名は漢字4文字で「宇多田光」である。歌手としてのデビューは、あれ、9歳だっけ10歳だっけ。忘れちった。(お前その認識はポジション的にまずくないか…)
という訳で本格的なレコード・デビュー時の名前はまず「Cubic U」である。最初のCの字が大文字である事に注意。これが小文字になって「cubic U」だと親娘3人のユニット名になる。大文字だと光個人の名だ。
次に日本で東芝EMIからデビューした時は名前をカタカナにした「宇多田ヒカル」となる。殆どの人にとっては彼女の名前はこう書き読むものだろう。この人のニックネームが“Hikki”だという感じが強い。
これに対して、その後の欧文体表記の人に対しては余りHikkiと呼ぶ事はない。いやなくはないが主流派ではない、という感じか。"ポピュラーではない"くらいが適当かな。
その欧文表記での最初の仕事は、映画「ラッシュアワー2」のサントラ曲"Blow My Whistle"で、そこでは「Hikaru Utada」を名乗っていた。この2001年〜2002年の時点では、この「Hikaru Utada」と「Utada Hikaru」の2つを使い分ける構想もあったようだ。
しかし結局、2004年に全米デビューする際はワン・ワードの「UTADA」表記になる。STINGやBJORKのような感じだが、ここから日本では「宇多田ヒカル」、海外では「UTADA」の二重生活が始まる…というのが通例のまとめ方で、それで何も間違っていないのだが、現実には海外での「宇多田ヒカル」人気も相当高く(In The Fleshでの日本語曲に対する彼らの反応をみるとよい―発売された暁には)、実際はどちらも混在している感覚だった。
そして結局、アイランド・レーベルとの契約は終了し、「UTADA」名義での活動は文字通り"お蔵入り"となった。ベスト盤騒動の時の事を考えると、恐らくUTADAの名前で出される作品は「UTADA In The Flesh 2010」が最後となるだろう。
そのペルソナと距離を取ると同時に、光は2つの"古くて新しい"名前を持つようになる。ひとつは、TwitterIDの「@utadahikaru」、そしてもうひとつが映像監督としての「宇多田光」名義である。前者はただの名前のローマ字表記、後者はまんま本名なのだが、この2つのペルソナが威力を発揮するのはまだまだこれからといえるだろう。
そして今。最新の日本語曲「桜流し」は「宇多田ヒカル」名義でこれまで通りだが、ラジオ番組での表記は徹底して「Utada Hikaru」なのである。いや、そんなに徹底はしていないかな、であるにしても、今「Kuma Power Hour with Utada Hikaru」の作演出編集DJをやっている人は「Utada Hikaru」さんなのだ、というのが私の今の認識である。
したがいまして。最近この日記では彼女の事を"Hikaru"と呼ぶケースが増えている。元々、日本語曲を作って歌う歌手として彼女の事を指す場合は「ヒカル」、英語曲の場合は「UtaDA」、そしてそういった活動で色分けできないパーソナルな部分について語る場合は「光」という風に使い分けてきた。たまに親しみを込めて「Hikki」と呼んだり宇多田氏と呼んだり、もっと赤裸々になってくるとひらがなで「ひかる」と呼んでみたり―これは彼女があらたまってメッセージを書いた時のサインが由来ではあるが―、彼女の様々なペルソナに合わせて呼び名の表記を変えてきた。そこに新たに加わったのがこの「Hikaru」という訳だ。
私自身、この呼び方の意味するところが何なのかはまるで掴んでいない。もしかしたら今回の「Utada Hikaru」名義は気まぐれかもしれないし、そこまで行かなくても便宜上の、或いは過渡期のものかもしれないし、逆に恒久的な地球規模での呼称として定着するかもしれない。或いはそれは「Hikaru Utada」と姓名順序が逆のものになるかもしれない。まだわからない。
でも、しかし、いや物凄くどうでもいいことなんだけど、今の私はHikaruの事をHikaruと呼ぶ・書くのがしっくり来ている。暫くはこれが主流となるかもしれない。番組が継続中の間は、少なくとも、ラジオ番組制作及びディスクジョッキーとして彼女の事をHikaruと呼ぶケースが増えるだろう。そして、ただそれだけである。しかし、名前というのは大きい。この"しっくり加減"が、Hikaruのこれからのキャリアを仄明るく照らしているような気がするのは、贔屓目だろうか。皆さんも今一度考えてみてくださいな。尤も、一番人気は相変わらず「Hikki」だろうけれどね〜。