無意識日記々

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World Wide Gypsy

シンガーソングライタープロデューサーアレンジャーPVディレクター編集長の光からすれば肩書きの数は二足どころの話ではないのだが、生活様式という点で分ければ定住生活と移住(浮浪?)生活の違いは大きい。狩猟民族と農耕民族では体格や内臓機能、各人の気質に至るまで文字通り遺伝子レベルで差異がある。その2つの間を行き来するのであれば、かなりの適応能力が必要になるだろう。

だが、インターネットの登場によってその概念が揺らぎつつある。定住と移住の違いは詰まる所人間関係であり、"すぐ会う人"がどういう種類の人々か、即ちよく知っている何度も会った事のある人ばかりなのか、それとも毎日見知らぬ人と新しく次々会うのか、そういう違いである。それが、携帯機器でWebに接続さえすれば常に"いつも(Web上で)すぐ会う人"に会えるし、また"初めて交わる人々"との出会いもWebなら手軽なものだ。世界のどこに居ても(といっても限界はあるだろうが)精神上はどちらの状態にもなりえる。定住や移住の意味も変わりつつある。

宇多田ヒカルの場合、世代的に"Webがある事が前提となったアーティスト"のいちばん初期のケースとなる。即ちそもそも、光にせよ我々にせよ、世界のどこに居ようが移り住んでいようが常に"共に居る"訳で、その上で更にツアーによって実際の邂逅に至る。昔とは前提がまた異なる訳だ。テレビの時代も"テレビでお馴染みのあの芸能人があなたの街に"という側面は大きかったが、それが飛躍的に押し進められたのである。

これは、個人差がある話ではある。しかし少なくとも、大昔からの"ジプシー"の伝統からすれば、かなりの様変わりではあるだろう。それに伴って、ツアー生活に対する意識も、これもまた個人差はあるだろうが、かなり変わってきているのではないか。要するに、もし今の時代にThe Beatlesが活動していたら、スタジオワークに専念する為にツアー生活を放棄するなんて事をしなかった可能性がある、という事だ。

この状況を、光がどう捉えているか、だ。彼女は最初からWeb前提のアーティストであるから過去の経験からは比較のしようもないが、Webで濃密にcommunicationを取っているから早く実際に会いたい、と思っているのか、Webで頻繁にカオをつきあわせているから会うのはじっくりでいい、と思っているのか。どちらなんだろうね。