無意識日記々

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野心

芸に携わる人々がジプシー化するのは、一ヶ所でずっと芸をやっているのはキツいからだ。場所が同じならやってくる、やってこれる人々の顔ぶれも基本的に同じなので、次の日は異なる演目を披露しなければならない。そんなの仕込んでいられない。そんな事をするよりは、同じ演目を毎日違う人々に披露し続けた方がよい。つまり、沢山の芸人がジプシー化する事で、受け手は毎日異なる演目を体験でき、演者にも負担が少ないという最適化の結果である。つまり、ツアー生活というのは、ああ見えて各アーティストが単独では成り立たない、ある程度時期と場所をズラしてツアーできるアーティスト群一式が揃って初めて意味を為すのだ。

いやまぁ勿論多くのファンはピンと来ないかもしれない。コンサートなんて都会でしかしないから田舎住まいには普段何の縁もない。それに、一回のチケット料金の値段を考えるとそう頻繁に顔を出せる訳でもない。そういう状況下で毎日、次から次へと演目を楽しむなんていう生活からは程遠いんじゃないか。

それに、ここの読者にとっては光のコンサートは特別過ぎる。「来週末ヒマだから近所でやってる宇多田のライブでも見に行くか」みたいなノリには成り得ないのだ。必要なら仕事を辞めてでもライブに備えてしまうのが我々であり(あ、今そこまででもない人たちも巻き込んだ)、彼女が近くに来ようが来まいが兎に角行ってしまう。彼女を中心にしてこの星は回っている。ジプシー云々以前の問題である。

多分、今までの光はコンサートという場を「期待に応える事」最優先で考えてきたのではないか。しかしながら、ツアー生活をするというのなら「その夜暇でたまたま見に来てくれた人」という存在を引き込めるか否かが肝要になってくる。「どれ、みてみるか」というノリである。今までは、コンサートは抽選ばかりだし、大体泣く子も黙る日本人なら皆が知っている名曲を多数抱えているので、まともな喉でそれさえ唄っおけば何とかなっていた、ハズだ。それだけのアドバンテージを事前に作り出したのは純粋に彼女自身の才能なので何の問題もないのだが、なんていうんだろう、後ろ体重の人たちを前のめりにしてやろうというジプシーちっくな野心が光に芽生えてきたらツアーの回数は劇的に増えるんじゃないかな。

光は常にライブコンサートについては"期待の負債"を抱えていて、かなりの割合で義務感を擁して臨んでいたように思う。そして、まだまだ会い足りない人々が世の中には残っている。それらの"期待の借り"を返し切る日が来ないと"新しい期待を殖やそう"という気持ちにはなかなかなれないかもしれない。しかしこの人間活動期間による効果如何によっては、そういう肩の荷が降りきらないまでも軽くなることは、あるかもしれない。でもまぁ、みんな期待することはやめないだろうな〜。