無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ソファ

普通の(といって何を指すのかは自分でもよくわからないのだけれど)ミュージシャンたちはスタジオワークとツアー生活の両極の間を振り子のように行き来して生活している。これに変化が訪れるのは結婚するなどしてこどもが生まれた時だ。

「家族との時間を大事にしたい」と言ってバンドから離脱する例を幾つも見てきた。中には、ミュージシャンとしての生活自体をやめて他の職に鞍替えする者も多かった。ツアー生活というのは、基本的に独り身か、或いはこどもに手が掛からなくなでてきた頃合でもないと調整が難しい。

ミュージシャンをやめるまではいかないまでも、ツアー生活はリタイアしスタジオワークを続けるというスタイルは散見される。これも、PCとインターネットの進化が大きい。自宅か自宅近くにスタジオがあれば、今は依頼があっても手元で録音して電送すれば事足りる。わざわざ海を飛び越えて録音現場にまで行かなくてもよくなった。こういう技術の発達も、ミュージシャンたちの"定住化"に拍車をかけている。

光も将来家庭を、家族を持ってミュージシャン生活を続ける、なんて事はあるのだろうか。こどもの夏休みに合わせて、夏にしかツアーをしないとか。女子の場合産む方だからどうしたって時間はとられる。ママさんミュージシャンの先達は幾らでも居る。『今日話した年上の人はひとりでも大丈夫という』というLettersの一節は友人の言葉なのか母の言葉なのか未だに不明だが、将来はこれと対局するような、「こどもを生んでからも歌っているけど、やっぱりいいもんだ」みたいな歌詞を光が書くような時期がいつか来たりするのだろうか、神蚤謗る、もとい、神のみぞ知るといった所だが、それには光の幼少時にみた"両親というアーティストたち"のやり方に対する思いが重要になってくる。光は音楽に、両親から集める筈の注目を自分ではなく音楽に向けられている、と嫉妬したことはないのかな。スタジオのソファーに寝そべって宿題をするまでに馴染んだ家同然の空間は、そういった感情とは無縁だったのか。そういったことがわからないと、光の"家庭観"
は正確に推し量れないかもしれない。