東京物語とは、つまり普通且つ普遍が具現化された作品なのだな…(ぶつぶつ)…
いや、まぁ独り言は置いといて。ってこの日記まるごと独り言だけどな。
今Hikaruがロンドン近郊に居るとして、どういう身分なんだろうね。VISAの事はようわからんが、学生なのか労働者なのか旅行者なのか。
いろんな話をすっ飛ばして、スコットランド国籍をとるとかいう話になったらどうなるんだろう。節税対策にはアイルランドの方がとか野暮な話も置くとして、どんな距離感がいいのかを見つける必要はあるだろう。「一生行かない」から「住む」まで色々有り得る。住みたい所に住む。なかなかこれが出来る人は少ない。進学出来た学校、就職できた職場に縛られる人生が殆どだ。Hikaruなら、好きにすればいい。尤も、いつマスコミに嗅ぎ付けられるかという不安と恐怖から逃れるのはどこに居たって難しいだろうが…。
ボヘミアン、コスモポリタンとしての移住生活からスコットランドでの定住生活へ…ないか…。
様々な妄想を展開したところで、いちばん現実的な路線を考えてみよう。スコットランドでのレコーディングである。スコットランド出身のアーティストたちは、そこで生活しているのみならず創作もしている。その空気感をHikaruが欲しがる可能性はある。そして、スコットランドのミュージシャンたちとのコラボレーション。そういうアルバムが出来ても不思議ではない。
勿論、ここで立ち返る。基本。熊泡で流す音楽はリスナーとしてHikaruが好きな音楽であって必ずしも作曲家Hikaruの傾向を反映したものではない、と。スコティッシュ・テイストは、スコッチ片手の時限定の"ルーツ"かもしれない。パソコンやピアノに向かった時には、また違うかもしれない。
ただ、ルーツへの自覚は、その"ズレ"を是正する方向にはたらくかもしれない。そこが、今回の(熊泡六で出迎えた)新しい局面である。スコットランドという気付き。そして、それがひとつの「国」として立ち上がるかもしれないタイミング。彼らにとっては当然アイデンティティの問題だが、Hikaruの"気分"もそちらに動く。つまり、このフィーリングを大切にしよう、自分の好みを重く見てみよう、という態度は、Pop MusicianとしてのHikaruのアイデンティティを少し書き換える。一方で、東京やNYといった"都会での(本来の)生活"もある。奇妙なバランス。
だから、次回の放送がかなり大事かもしれない。一旦、スコットランドから離れるだろう。「たった3グループじゃ足りなかったから第2弾!」というのでもアリだけどさ。その時に、曲を聴く事を考えているか、書く事を考えているのか。そのバランスがどうなるか。その答によっては復帰が近付くし、或いはまだまだじっくり行こうかとなるかもしれない。Hikaru本人も、まだ何も考えていないかな。
ただ、この考え方だとEVAやキンハは"邪魔"になっちゃうな。それも少しおかしい。私の考えがまだ足りていない。次は他の側面からアプローチしてみよう。