無意識日記々

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WILDにイケイケ

人間活動の"成果"があったとしても、直接的にアーティストシップに影響を与える訳ではないんじゃないか、という見解をこれまで何度か繰り返してきた。それは即ち戻ってきた時に特に何の変化もないだろうという"安心材料"を与える事にもなるのだが。

人間活動突入前のコンサートの名称が"Wild Life"だった事。Lifeという語を使った曲といえばまずFlavor Of Lifeが思い浮かぶ。その味が『淡くほろ苦い』だった所から"Wild"とは随分と勇ましいなぁと思ったが、考えてみれば(世間的には)病気から結婚という流れで皆が"Hikkiも落ち着いちゃうのかな〜"と思いかけたタイミングでは"20代はイケイケ!"というタイトルを打ち出していた。

そこらへんのバランス感覚である。これをどう解釈するか、だがやはり「元気出していこう」と自らを奮い立たせる面もあるのではないか。人間活動宣言からのち数ヶ月間元気にアーティスト活動に励んでいたものの、何だかんだで疲労は蓄積していた訳で、それをどうにかしようと"Wild Life" という勇ましい名称に辿り着いた、とも考えられる。

ここでのポイントは、ここでアーティスト活動休止に入るという事でその"どうにかしよう"が恒久的な効果を発揮できるかどうかである。つまり、これによって無期限休止はキャリア上最後になるんじゃないかという期待。願望も多分に含まれるのだが、今までの「頑張り過ぎて倒れたり倒れなかったり」という状況からの脱却を狙っているのではないか。確かに、自滅って野生っぽくないのよね。別に光が今まで病欠したのって他者に原因がある訳じゃない。寧ろもっと早く休む所を引き伸ばして頑張り過ぎてぷっつん、というイメージが強い。Deep Riverの時はそれでアルバムを完成させたし、Utada Unitedだって皆勤賞だ。素晴らしい。それでも結局This Is The Oneでの離脱は頭に残っていたのではないか。恒久的な対策を取りたくなっても不思議ではない。

ただ、そうすると"無期限"というのはどうなんだろう、とも思う。これが最後のLong Breakだというのなら、期限を区切らず自分が納得するまで、と捉えればいいか。

どう考えようが捉えようが、冒頭に書いた通り人間活動の影響が直接アーティスト活動に跳ね返ってくる事はないんじゃないかと思っているので、何がどうだったのかは光が具体的に語りおろすとかしない限り知りようもないかもしれない。ただ単に、待っている時間を納得する為の方便なのかな。でも、だとしてもそれがファンにとっていちばん必要な事なのだから、それはそれでいいような気もしている。